明けても暮れても

17

元旦、たまの休みに寝坊している暇がないふたりは普通に朝から起き出し、形ばかりのお雑煮を食べると、明日の日帰り挨拶の準備に取り掛かり、それが終わると3日に控えている来客昼の部夜の部の準備も行い、また餅で昼を済ませると慌ただしく公延の実家の方の木暮家に向かった。

「いらっしゃ〜い、待ってたのよ〜! あけおめ〜!」
「あ、あけましておめでとうございます」
「お昼まだでしょ、おせちあるか――
「いや昼は食べてきたからいらない」
「えっ、そうなの!? 先に言いなさいよもう、じゃあ夜は――
「夕方には帰るよ。買い物あるし、明日朝早いし」
「ちょっとあんたね!」

新年早々の親子バトルには我慢できずに笑った。血は繋がっていないというのに、キリエみたいだ。だが、義母はまだいい。しょっちゅう差し入れを手にやって来るし、こんな風に息子に軽くあしらわれて怒っているのもいつものことだ。しかし、新たな義父はそうもいかない。何しろ結婚した時以来会っていなかった。

手土産をキッチンに届け、そのままリビングに通されると、ソファにセーター姿の公延の父親が座っていた。遠くから見ると顔の輪郭が似てるとは思うのだが、息子はそんなことないと言い張る。

「あけましておめでとう。しばらくぶりになってごめん」
「あ、あけましておめでとう、ござい、ます、ご無沙汰してます」
「はい、あけましておめでとう。よく来たね」

義父の喋る量が1だとしたら、義母は30くらいになるだろうか。そのくらい義父は喋らない。一応、息子によるとそれは「母が喋りすぎるから黙ってるだけ」だそうで、話すのが苦手というわけではないらしい。ただ自分で言おうとしたことの半分くらいを妻が先に言ってしまうだけで。

は深々と頭を下げながら新年の挨拶をし、緊張しながら公延の隣に腰を下ろした。

「んも〜、今日は昼も夜も食べていかないんだって〜」
「この間ちゃんと言っておいたじゃないか、明日のお宅にご挨拶に行くから朝早いって」
「泊まってくるのか?」
「いや、3日には赤木が来るし、4日から予備校だから」
「いよいよ受験シーズン本番だね」
「は、はい、頑張ります」
「そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。お母さん、あれ」
「ああはいはい、てか何よ自分で取りに行きなさいよね、なんで私が」
「立ってたからだよ」

はそのやりとりにまた笑っていたが、義父から封筒を差し出されて固まった。「お年玉」と書いてある。

「え、オレにはないの」
「お前は収入があるだろ」
「そうだけど」
……あ、の」
「18歳成人と言ってもまだ高校生なんだから、そのくらいの楽しみがないとね」
「遠慮しないでもらっておけば」
「そーよ、お母さんの遺してくれたお金使っちゃってるんでしょう」

事実、公延はの生活費を負担する立場にあるが、お小遣いまでは出ない。というか自分のお小遣いですら微々たる量だ。なのでごく個人的なものや、日用品の中でも必需品というほどでもないものは例の遺産を使い続けていた。は封筒を持ち上げ、まじまじと見つめる。

「お年玉なんて……久しぶりです」
「え」
「え」
「え」

親子3人はきっちり同じに声を上げて目を丸くした。だが、は実に6年ぶりのお年玉だった。

「私のお年玉は小学生までで……
「そういえばクリスマスも6年ぶりって言ってたな」
「え」
「え」

今度は義父と義母が首を突き出してハモった。

「クリスマスにお正月にお年玉なんて、夢みたいです、ありがとうございます」
……さん」
「は、はい!」
「どうですか、新生活は。まだ4ヶ月くらいだけど、急激な変化だったでしょう」

公延も義母も黙ってお茶を飲んでいるので、は自分も急いでお茶で喉を湿すと、居住まいを正す。

「その、激動の夏休みでしたが、でも、公ちゃ……公延さんと」
「公ちゃんでいいですよ。シュウジたちと仲がいいんだったね」
「えっはい、そうです、はい、ええと、公ちゃんと暮らし始めて、確かにすごい変化だったんですけど、やっと普通の生活になったなという感じで、慣れないことはいっぱいあったんですが、それでも、その前の1年に比べたら、まともで、普通で、どこにでもいる高校生になれたって、気がしました」

義母にはこんな話をしただろうか、に記憶はなかった。だから彼女がの様子を報告する程度しか義父は息子の結婚生活についてを知らないはずだ。高梨夫婦から事情説明があったとはいえ、息子が奇妙な結婚をするということは事後報告で、それについてこの義父がどう思っていたかはも知らなかった。何しろ始めましてと挨拶をしたのはの荷物をこの家に運び込んでいる最中だった。

「そうですか。公延はご迷惑をかけていませんか」
「え!? 迷惑なんて、そんな、ないです、私の方が」
「あのねさん」
「はいっ」

がどうにも緊張しっぱなしなので苦笑いの義父は、お茶を啜ると少し背中を丸めた。

「私はあまり子育てには協力しなかった父親です。この子が小さい頃はそれもまあ、よくあることで、仕事も忙しかったし、特に中学に入ってからは顔を合わせる時間も減って、正直、息子がどういう10代を送ったのかはよく知らない。だけど気付けば私に似て頑固な男に育ってしまってね」

自身は公延のことを頑固とは思わないのだが、義母まで微かに頷いているので、ご両親にとっては父親によく似た頑固な息子なのかもしれない。息子は黙ってお茶を飲んでいる。

「親への反抗なんてものは人より少ない子だったと思いますが、自分の意志を曲げないというのかな、こうと決めたら梃子でも動かないというか、高3の時に進路についてはずいぶん揉めてね。だけど結局この子は自分の意志を通しました。以来この家にはほとんど戻らず、教職に就くことになったというのも、事後報告でした」

私みたいな境遇にあるわけじゃないのに公ちゃん、それはちょっとどうなの、とは思ったけれど、義父は説教や苦言をぶつけてくるつもりではなさそうだ。

「だから突然あなたと結婚すると聞かされた時は驚いたけど、そりゃもう椅子から転げ落ちるほどびっくりしたけど、でも、息子はまた自分の意志であなたとの結婚を選んだのだなと、すぐに納得しました。誰かに命令されたわけでもなく、何かに影響されたわけでもなく、何か思うところがあって決断したんだろうと、だから反対する気はなかったし、心配していたのはあなたに失礼がないかどうかということばかりで、だけど今日、ご挨拶に来てくれてホッとしました。あなたが普通の暮らしだと感じられるなら、それが何よりです」

なんだか無性に気恥ずかしくなってきてしまったは無言で頭を下げた。

「妻がずいぶんちょっかいをかけてるみたいだけど、いつでも遊びにいらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
「ひとりでもいいからね。あなたはついに危害を加えてこない父親を手に入れたんだから」
「は、はい!」

の頬はすっかりピンクに染まっていた。それはもしかしたら、この義父と義母を「家族」と感じたからかもしれなかった。今はまだ実態のない夫婦でしかなかったとしても、それでもこの人たちは家族ということになるのだ、という実感に、嬉しさと照れが同じだけ溢れてきたからかもしれなかった。

公延の実家での滞在はわずか3時間で終了。本当にお茶とお菓子だけで帰ろうとする息子夫婦にお母様は夕飯だけでもとしつこかったが、息子はさっさと車に乗ってしまい、なのでふたりのために用意されていた料理は即冷凍され、後日届くことになった。

公延にとっては自分の親よりの祖父母の方が優先事項だったので、手土産は値段が上がり、複数になった。それらを車に積み、燃料を満タンにして帰宅したふたりは早々に就寝した。翌日は早朝に出発だが、推定で片道3時間半なので、出来るだけ早く出発して当日のうちに戻りたかった。

翌朝、まだ暗いうちから起き出したふたりは真冬の真夜中の寒さを舐めており、慌てて防寒具を増やし、寄るつもりのなかったファストフード店で温かい飲み物を買ってから出発した。

だが、向かうのは神奈川沿岸部よりかなりの寒冷地で、しかも自然が多いので余計に低気温で、現地に到着する頃にはすっかり日が昇っていたというのに、冷え切って震えながらの祖父母に迎えられた。祖父母ふたりの家は年季の入った田舎家をモダンにリフォームしたもので、2匹の猫が縁側でごろごろしているという、なかなかに上質な田舎暮らしの趣だ。薪ストーブが暖かい。

「大変ご無沙汰しております」
「まあまあ、そんな畏まらずに。遠いところを大変だったでしょう」
「まさか来てくれると思ってなかったから嬉しいよ。ありがとうな、公延くん」

実家とは打って変わって直角にお辞儀の公延は、祖父母ふたりに肩を叩かれて家の中に招かれた。木材をふんだんに使ったインテリアとむき出しの無骨な梁がおしゃれだが、廊下に当たる場所の壁は子供の落書きで埋め尽くされていた。ちょっともったいない。

「普段は大騒ぎなのよ。でも今年は誰だかっていう先輩の別荘を貸してもらえることになったとかで、大はしゃぎで出かけて行っちゃった。だからこんな静かな年末年始は久しぶり。帰ってくるのは4日だから、本当は泊まっていってほしかったんだけどね」

今年はが受験という事情があるのでいかんともしがたいわけだが、来年もまた叔父家族が不在になるかどうかはわからないし、タイミングが悪かった。叔父家族の家はこの「母屋」の隣にあり、せっかくの田舎家の雰囲気をブチ壊すカリフォルニアスタイル。触らぬ神に祟りなし。

「どう、、勉強の方は」
「あ、うん、それがね――
「まったく問題ないです。模試の結果でも安全圏から外れたことがなくて、もちろん油断は出来ませんが」
「公ちゃん公ちゃん、落ち着いて」

よりよっぽど緊張しているんだろうか、公延はいつもより早口で、ちょっと目が泳いでいる。

「大丈夫だよ公延くん、僕たちは君のことを信頼してるから」
「はあ、すみません……
「血の繋がった身内なのに助けてやれなかったこの子を救ってくれた人を疑うもんかね」

薪ストーブのあるリビングでコーヒーを勧められた公延はまだちょっと姿勢が固かったけれど、おばあちゃんお手製のマドレーヌがあんまり美味いのと2匹の猫が可愛いので、やっと緩んできた。

……あの、すごくいいところですね」
「そうだろ。僕たち東京の下町生まれだけど、ふたりともこういう暮らしが憧れで」
「でも見渡す限り家が一軒もないし、お店もないけど、大変じゃないの?」
「そのへんは慣れかしらね。最近は通販が手軽だからずいぶん楽になったのよ」
……お前のお母さんは、ここが嫌いでね」

の母・サヨと弟は7歳年が離れていたので、この見渡す限りの自然の中に引っ越してきた時、サヨは小学校3年生だった。下町生まれ下町育ち、スイミングとエレクトーンを習っていて、将来の夢はテレビに出るアナウンサーかキャビンアテンダントだった。

「自然の中で遊ぶのも楽しいんだよと言ってみたけど、そういうことに全く興味がなくてね。テレビも東京に比べたらチャンネルが少なくて、当時あの子が好きだった番組はやってなかった。お小遣いを貰ったら必ず行くファンシーショップもないし、アイスクリーム屋さんもなかった。僕たちは『住めば都、子供なんだからそのうち慣れるさ』なんて思ってたけど、甘かった。あの子は田舎暮らしへの恨みをずっと溜め込んでて、高校卒業後の進路の話になった時、『10年あなたたちの田舎暮らしに付き合ってやったんだから、私が故郷に帰る費用は全額持て』と言われて仰天してね。本人も東京の大学に入るために猛勉強していて、この地域で初の国立合格者になって、そのままこの家を出ていっちゃったんだ」

そういうわけでサヨはいわゆるキャリアになったわけだが、いかんせん男の趣味が悪かった。

「それもねえ、結局私たちのせいじゃないかって今は思うのよ。私たちが遠くにいて、弟のことばかり気にかけてたし、だからあの子は自分の力で生きていくんだっていう気持ちがものすごく強くなったんだと思うんだけど、自分で思うほど強くなれなかったんじゃないかって。だから押しが強くて強引なタイプの男にばかり引き寄せられちゃったんじゃないかって、そんな気がしてて」

サヨは娘のを蔑ろにしたことはなかった。けれど、自分の男と娘が上手くいかない時は、男の方を優先しがちだった。実父の時はどうだったのかは知らないけれど、確かに言われてみると2番目の夫とは都会的な遊興を満喫していたように見えた。母にとってはそれが何より大切な生活の彩りだったのかもしれない。

「それに気付いたのは再婚した時で、なぜまた似たような男と結婚するのかと不思議だったんだけど、たまたまマヤさんと話すことがあって、そしたら『新しい兄と最初からやり直すみたいに見える』って言われて、ハッとなってね。そうか、あの子はまだ『もしあの時田舎に引っ越さなかったら』という自分を繰り返し生きているのかもって、思えてきちゃって」

しかしサヨはそんな自分の内面を誰にも打ち明けることなくこの世を去ったので、真相は闇の中である。

「だからあんたを引き取るなんてことは絶対出来ないと思ったのよ。あんたの暮らしは神奈川にあって、友達もいて、慣れ親しんだ街があって、私たちみたいに自分から田舎に行きたいって思うならともかく、もしこっちで大学生になれたのだとしても、それじゃ無意味だと思ったから」

それならいっそ進学を諦めて就職の方が傷が浅いのではないか、とふたりは考えてきた。学費の支援ならなんとかなりそうだという結論が出ても、こっちで学生になればいいじゃないの、とは一度たりとも考えなかった。

「いいところでも、ここでは生きていかれないなって思ったでしょ?」
……うん」
「私たちはここが好きだし暮らしにくいとも思わないけど、合わないものは合わない」
「旅行くらいならいいけど、暮らすとなると話はまた別だからなあ」

と公延はしかし、ふたりの話に少しずつ自分を重ね合わせていた。今いる場所から動かないことを不安に感じ、同じところで足踏みをしているような気がして、上を見上げて手を伸ばしたい欲求に逆らえなかった。そのためなら何だってやってやろう、少しくらい苦しくたって構うものかという気持ち、きっとサヨもそんな心を持っていたに違いない。今ののように、18歳の時の公延のように。

「だからあんたたちの結婚は、あの状況では唯一の可能性だったのよ」
「キリエさんは変わりないかい。彼女はきっと大物になると思うね」
「あらでもいつか赤ちゃん欲しいって言ってたわよ。子育てと両立できるかしら」
「んなもの、シュウジくんがやりゃいいんだよ」

と公延も「絶対そうなるだろうな」と思ってしまい、つい吹き出した。

「そういえば今日は日帰りなんだったよな。何時頃帰るんだ?」
「ええと、休憩を挟んでたら結局4時間くらいかかってしまったので、どんなに遅くても19時くらいには」
「あらよかった。それじゃ夜は早めにしましょうね」
「じゃあお昼もちょっと早めにするか」
「そうねえ、息子たちにお土産を見られると面倒だし、それも一緒に頂いて早めにしましょうか」
「公延くんはまだたくさん食べるだろ? 今夜はすき焼きにしたからな」

公延はまたぺこぺこと頭を下げ、昨日ののように少しだけ頬をピンク色に染めていた。それは薪ストーブが暖かかったからだったのか、それともと同じように、このふたりを家族と感じたからだったのか。あるいは、その両方だったのかもしれない。

その後、雑多な昼を済ませると、と公延は外に散策に出た。何しろ見渡す限り家が一軒しかない景色など見たことがない。風は冷たいがよく晴れていて日差しはほんのり暖かかったし、食事をしたらだいぶ体も温まっていた。それに孫夫婦のために奮発してくれたらしく、かなりの量の牛肉が用意されていた。しっかりお腹を空かせておかねばなるまい。

「すごいね、本当に誰もいない。外にいるのに全然音がしない」
「ここまで何もないと、やっぱりちょっと怖いよな……

何か緊急事態あれば、すぐ近くに誰かしら人間がいるという場所でしか暮らしたことのないふたりにとっては、こんなところで急病になったらどうするんだろうとか、もし犯罪のターゲットになったら逃げ場がないとか、そんなことばかり考えてしまって、平穏に暮らせる場所に思えなかった。

だが祖父の言う通り、旅行なら話は別だ。叔父家族が不在になるチャンスがあったら泊まりに来たい。

「来る途中に温泉あったよね」
「あったあった。昼間そこで入ってから来るのもいいな」
「ここに一泊してからふたりを誘って温泉行ってもいいよね」
「夏ならハイキングとかもいいなあ」
「うわ〜やっぱり絶対合格してバイトしまくろう! 」

クリスマスもお年玉も6年ぶりであるは、旅行も10年以上していない。修学旅行くらいしか旅の記憶がないので、興奮したは勢い公延に飛びついて手を繋いだ。

「昼間だけど、これだけ誰もいなかったら、いいよね」
……そうだな」

かつては広大な耕地だったであろう土地の隙間に、舗装されていない道が続く。気付けば祖父母の家も小さくなっていて、手を降っても見えないかもしれない。は繋いだ手を揺らして歩きつつ、四ツ辻にポツンと生えている松の木に目を留めた。木の足元に石が置いてある。

「公ちゃん、これなに?」
「道祖神じゃないかな」
「どうそしん?」
「日本の古い民間信仰だよ。境い目を守り、疫病や災から守ってくれる神様」
「境い目? じゃ、ここって何かの境界線だったの?」
「そうかもしれない。ここで村が分かれてたとか、そういう場所だったのかも」

石碑は古く、何が掘られていたのかも判然としないけれど、曲がりくねった松とともに長い長い年月をここで過ごしてきたのかもしれない。人の短い一生などほんの一瞬に感じるほど延々と、この場所から土地の営みを見守ってきたのかもしれない。

「昔はもっと人が住んでたのかな。木と神様だけが残ったなんて、ちょっと寂しいね」
「こんなところにいると、世界にたったふたりきりしかいないみたいだな」
……私、それでも平気だよ」
「え」
「世界にたったふたりきりでも、公ちゃんと一緒なら平気」

この道祖神と松のように、たったふたりで長い年月を過ごすのだとしても。不意に見つめ合ってしまったふたりはやがて引き寄せ合い、真正面から緩く抱き合った。うららかな日差しにも白い息がふたりの間に漂う。

「やっぱり泊まりにすればよかったな。赤木ならキャンセル出来たかも」
「エマは許してくれないだろうけどね」
……こんな時間が心地いいなんて、思ったこと、なかったよ」

言いながらふたりは静かに唇を重ねた。

誰もいない、誰も見ていない、ふたりを咎めるものは何も存在しなかったから。