が受講しているコースは12月30日から1月3日までが休み。その間、正月は既に予定がいっぱい詰まっている。元旦は午後から木暮の両親に挨拶に行き、夕食は取らずにお暇をする。その足での祖父母への土産を調達して、翌2日は早朝から車で出発。叔父家族はいないと言うが、まだ明るいうちに帰れば当日以内に帰宅出来る。さらに翌3日は昼の部夜の部の二部体制で来客。昼はエマ、夜は赤木兄妹。
「まあね〜結婚すると実家がふたつになるし、それぞれの付き合いもあるとね〜」
「キリちゃんたちが結婚したばっかりの時も年末年始って忙しかったの?」
「お互いの実家に顔出したくらいかなあ。ウチはそのうち親が旅行するようになったし」
12月30日、の予備校が休みになったところで、高梨夫婦がやって来た。キリエはにこにこ笑顔で「一緒におせち作ろー!」と言っているが、そういうわけで正月に木暮夫婦と会食する隙がないので、前倒しで年末にやってきたと思われる。一応おせち作りも嘘ではなく、ただいま公延とシュウジが買い出し中。
「これが子供いたらもっと忙しいと思うけど、まあ今年は受験あるし、来年はきっとのんびり出来るよ」
「来年か……離婚しないでいられればいいんだけど」
「えっ、ちょっと何よ、なんかあったの」
「いや、何もないけど、そこはいつでも先が見えないから」
昨夜既に調達していたエマ用の鶏肉を揉みながら、は正直に言う。思えば自分の思っていることを包み隠さず話せる相手はエマかこのキリエしかいないので、ふたりきりだとつい本音が出る。
「てか結婚以来どう? 便りがないのは無事って思ってスルーしてきちゃったけど」
「なんとかやれてると思う。ほんとにこれ、受験がなかったらもっと余裕あると思う」
「うわーこれどうしよう! ってこと、ほんとになかったの?」
「困る意味ではなかったかな。ほら、例の公ちゃんのストーカーみたいな、あれはあったけど」
遠慮なくしかめっ面をするキリエに、は笑いながら鶏肉をジップバッグに詰め込む。これを冷凍しておいて3日の朝から揚げる予定。というかその日は赤木兄妹も来るので、ふたりも唐揚げ責め。
「まあ、叔母さんがかなり支援してるって話も聞いてたから、私もつい放置しちゃったけど」
「そんなの。キリちゃんたちには最初にめちゃくちゃ助けてもらったんだから」
この場合の「叔母さん」は公延の母親。シュウジの母親と姉妹で、そこが親しいので公延とシュウジは幼馴染状態で育つことになった。木暮家も高梨家も全体的に嫁が強め。
「生活もそうだけど、公ちゃんとは大丈夫? まさか公ちゃんがひどいことするとは思ってないけど」
「そこも全然平気。ちょっと味気ないくらい大丈夫」
「……それは大丈夫、なの?」
「キリちゃんの勘のよさを忘れてたよ」
「私の勘のよさじゃないって〜最初から公ちゃん気に入ってたじゃ〜ん」
「それはそうだけど!」
おせちを作るとは言うが、木暮夫婦は元旦から3日まではのんびりおせちを突っついている暇がないので、がやっているのは大晦日と正月の仕込み。今日は仕込みを終えたらデリバリーでパーティなのだそうな。なので掃除や片付けを明日一気にやらねばなない。
てきぱきと準備を進めるの隣で、キリエは大好物の金団にさらに栗を足して混ぜている。のだが、さっきからずっとそれを混ぜているだけで、ちっとも進まない。
「まあ公ちゃん、女関係はちょっと潔癖なとこあるっぽいけど、それに恋しちゃうとね〜」
「キリちゃんはどう思う? この結婚て」
「今更」
「そうなんだけど、言い出しっぺだし、実際どう思ってたのかなって」
「まあ私の一番の目的はあのバカダイキから引き離すことだったし……」
その後の元義父についての情報は一切入ってこない。このキリエが唯一の窓口になるが、彼女は話そうとしない。それを公延と話したことがあるが、知らないままでいいという結論に落ち着いた。もう完全に他人なのだから、キリエが報告する必要がないと判断したのであれば、どんな情報も不要だ。
「だけどあの時、色んな意味で支援できるのが私たちとマヤさんしかいなかった。本当にそれしかいなくて、だけど私たち全然余裕なくて、それが悔しくて、だからちょっと破れかぶれみたいなところもあったよ。でも公ちゃんと結婚ていうカードを思いついた瞬間、これなら確実にを助けられるって思っちゃったんだよね」
実際にまったく余裕がない高梨夫婦とマヤだが、自分たちが何も出来なくて公延に丸投げした形になってしまうので、逆に物資などの支援をしてくれるようになった。ただしどちらも本当にギリギリの生活なので、高梨家に関してはふたりの親が代行になることもしばしば。
「私、今でも最高のアイデアだったと思ってるよ。あの頃のを任せられるのは公ちゃんしかいないって思ったし、公ちゃんならきっとを大事にしてくれるって思った。間違ってたかな」
珍しく真面目な顔のキリエに、はぶんぶんと首を振ってみせた。やはりキリエの決断力は高い。
「でも、が聞きたいのってそういうことじゃないよね」
「まあ、うん」
「それはまあ、個人的には、もう結婚しちゃったんだし、いいんじゃないのと思うけど」
「そう思う?」
「まあね、別に公ちゃんがを洗脳してるわけじゃないんだし」
「むしろあんまり自分のこと話してくれないくらいだし」
「ただまあ、受験が最大の目的だったんだし、子供だけ気を付ければ」
「え、それは飛躍しすぎ」
「え、飛躍してんの?」
「そんなレベルの話では」
「嘘、えーと、まじで何もしてません状態?」
「それがその……」
キリエはと公延がすっかり「夫婦」になっていると思っていたらしい。それはそれで気が早い。は逆に気まずくなりつつ、クリスマス・イブの件を説明した。
「そっかあ。私が思ってた以上に公ちゃんて『まともなオトナ』だったんだね」
「これで私が別に公ちゃんのこと好きじゃなければねえ……」
「その方が気楽だっただろうね。で、4年後に離婚してたのかも」
「もうそんなの絶対やだ。離婚も嫌だし、他人みたいな夫婦もやだ」
栗金団が練られていくだけなので、はキリエにコーヒーを出して椅子に座る。公延とシュウジが買い出しに出かけて1時間ほどが経つが、12月30日の買い出しはそんなに早く帰ってこられるほど甘くない。それに、どうせ向こうは向こうで似たような話をしているはずだ。
「……キリちゃんてなんでシュウジくんと結婚したの」
「え。まあそれは色々ありまして……」
高梨夫婦とは、母が元義父と結婚した時に知り合い、一緒に遊びに行ったりしてきた仲だ。けれどふたりの過去についてはほとんど知らない。少し考えていたキリエだったけれど、やがて頷いて話しだした。
「てかね、私たちも交際期間ゼロで結婚だったの」
「えっ、そうなの!?」
「でもそれまでに何年か仕事でコンビだった」
「ああ、シュウジくんが振り回されてたっていう」
「それ風評被害。私がシュウジを引っ張っていってあげてたの」
だがそのコンビ時代にシュウジはキリエに対して人生のパートナーになってほしいと思うようになり、付き合ってもいないのにプロポーズをし、ついでに一緒に起業しないかと言ったそうな。
「そう、実際シュウジに対して恋愛的な意味で好意を持ったことなんかなかったし、元々その頃は結婚とか恋愛とか考えてなくて、まあしたくなったらすればいいやくらいに思ってたんだけど、急に目の前にそれが出てきたから自分でも状況があんまり理解できてなくて。ただ、起業は絶対出来ると思ったし、それにはシュウジは最高のパートナーだと思ったし、なんか、最初はそっちの意味で結婚してもいいかなって思ったんだよね」
果たしてふたりは交際期間ゼロで結婚式もせずに入籍をし、起業と同時進行で新生活をスタートさせた。
「大丈夫だったの?」
「それが、さあ! 楽しかったの!」
「ふたりの生活が?」
「そう。仕事と私生活がぐちゃぐちゃになるかなって心配してたけど、それで平気だったの」
結婚と同時に仕事と私生活がぐちゃぐちゃになり、今でもそれは変わらず、けれどふたりはぐちゃぐちゃなまま楽しく暮らしている。家はボロマンションだし、収入は少ないけれど、高梨夫婦はいつでも楽しそうだ。もこの数年の高梨夫婦を見てきたけれど、ふたりはいつでも友達同士のように笑い合っている。
「……『夫婦』になったのも、そんなに時間かからなかったよ。私たち、なんでも『合う』コンビなんだよね」
なのでふたりの目標は「キリエが妊娠可能な体のうちに収入を安定させて家族を作る」だということを、は初めて聞かされた。なのでふたりは少しでも早くそれが実現するように毎日頑張っているらしい。
「私には、公ちゃんともそういうところあるなって思うんだけど」
「私もそう思ってる」
「でも公ちゃんは私たちが考えるより怖いことがいっぱいあって、まだ踏み出せないんだろうね」
キッチンの窓が風にカタリと揺れる。型板ガラスの向こうは穏やかな晴れの色。
「でもわかるな、瞼の裏がきらめきでいっぱいになっちゃうって。そんなファーストキス、にとってはめちゃくちゃ幸せなことだったよね。それだけは、事実だよね」
結局30日の「パーティ」が高梨夫婦との忘年会状態になり、やっぱりキリエだけが酒を飲んでへべれけになり、公延が車で送っていく羽目になった。しかし木暮夫婦はこの予定が詰まりまくった年末年始をのんびり過ごす余裕はなく、翌朝ふたりは普段通りに起き出して掃除をし、正月の準備が終わると、紅白が始まっていた。
疲れたふたりは紅白を横目にリビングでうとうとしてしまい、気付いた時には21時を過ぎていた。なのでまたキッチンに立ち、ふたりで蕎麦を茹でた。蕎麦は公延の実家の方の木暮家に届いたお歳暮のお裾分け。
「公ちゃんは初詣とかどうしてたの、今まで」
「友達と出かけてたりした時は立ち寄ったりしたけど……あとは実家の近くとか」
「私、お母さんが再婚してから初詣行ったことないんだよね」
「え、1回も?」
「だってふたりで行っちゃうから。大人の正月デートとか言ってた」
「それ、てことは1月1日からひとりだったってことだろ……」
「そう。3日くらいにキリちゃんたちが遊ぼーって来てくれるまで何もすることなかった」
正月どころかはサヨの再婚以来クリスマスもなかった。ふたりはイブの夜に必ずフレンチかイタリアンのディナーを予約していたし、やはりサヨは一緒に行こうと言ったけれど、断った。
「だから実はこの年末年始、親の離婚前以来のフルコース。大晦日の年越し蕎麦は初めて!」
「……バス停の向こうに、神社あったよな」
「あったっけ? バスの窓の外あんまり見てなかったしな〜」
「二年参り、行こうか」
「なにそれ」
「年が変わる前から神社に行って、そこで年を越して、お参りをして帰って来る」
「あ、なるほど、だから二年なのか」
「甘酒もらえるかもよ」
「え! 行きたい! 甘酒好き!」
甘酒と聞いての目がキラリと光ったので、公延はつい笑った。この子、20歳になったら酒飲むんだろうか、キリちゃんみたいになったらどうしよう。ま、もしそうなったらふたりで飲ませておけばいいか。そう考えた公延はしかし、少なくともそれまで離婚しないつもりになっていると気付き、少しだけ頬が熱くなった。
食事の後片付けをし、公延は先に風呂に入り、は少し時間が空いたので勉強もし、ふたりは23時40分頃になって家を出た。住宅街はしんと静まり返り、12月の深夜の空気は冷たく、しかし空を見上げると普段よりくっきりと星が見えた。
は公延にもらったニット帽、公延はにもらったマフラーを巻いて、もうもうと白い息を吐きながら神社へと向かう。生まれて初めての二年参り、しかも公延と一緒で浮かれたは、うろちょろと辺りを走ったり飛び跳ねたりしていた。
「夜中まで起きてることなんか珍しくないのに、なんか特別な感じがする」
「……だからみんな大事にするんだろうな、こういう、季節の行事って」
「そうだね。季節が巡って、また特別な日が来て、それが思い出になるんだね」
神社に近付くと既に二年参りの列が出来ていて、大きな火が焚かれていた。甘酒の匂いも漂っている。
「なんであんな大きい焚き火してるの?」
「あれは破魔矢とか御札とかを焚き上げてるんだよ」
「せっかく買ったのに燃やしちゃうの?」
「ああいうのは基本、1年で効果が切れるんだよ。だから神社で燃やしてもらって、お礼をして、新しく買う」
「へえ〜! 知らなかった」
「今日は水止まってるけど……本当は先に手と口を清めて、それからお参り」
「へえ〜公ちゃん詳しいね」
「学生時代の友達の家が神社だった」
「へえ〜!」
そんなことを話しながら列に並んだのだが、間もなく年越しという頃になって、神社はどんどん人が増えてきた。地域の氏神様なので集まる人々は様々、懐から小型犬が顔を覗かせている人もいる。そんな様子を見ていた公延は初めて、「地域」というものを感じた。そうか、ここは自分の暮らす街なのか。
自分たちを知る者が住んでいない街を探した。結婚以来他人との関わりは努めて絶ってきた。制服姿のとは出来るだけ一緒にならないよう細心の注意を払っていた。けれどなぜか今は、自分たちが何者かなんてことを、神社に集まった人の誰ひとりとして気にしていないと思った。
自分たちはこの大勢の人が住む街の片隅に暮らす普通の人間で、みんなと同じように毎日を送り、そしていま新しい年を迎えようとしている。ただそれだけなのだと。
年明けまで数分を切った。特別な夜に夜ふかしをさせてもらってハイテンションな小学生のはしゃぎ声を聞きながら、公延はの手を取って繋いだ。参拝の列は神社の外にも溢れ、どんどん詰まってゆく。真後ろのグループはさっきから紅白ハイライトで大盛りあがり。きっと誰も自分たちの手元など見ていない。
「え、あの、公ちゃん」
「参拝のやり方、知ってるか」
「えっ、ううん、知らない」
「二礼二拍手一礼。2回お辞儀をして、2回手を打って、もう1回お辞儀」
緊張に強張ったの手を引き寄せ、指を絡めてしっかりと繋ぎ直す。
「2回、2回、1回……願い事は、いつ言うの」
「名前と住所を言って、お礼をして、それから」
「えっ、そんなルールがあるの。だからそれどのタイミングで」
「2回目の拍手で手を合わせた時。で、一礼して下がる」
「し、知らなかった……」
繋がれた手に驚いていただったが、突然始まった神社の参拝講座に動揺をかき乱され、慌てて二礼二拍手一礼の練習を始めた。すると、本殿の方で太鼓を鳴らす音が聞こえてきた。年明けである。
「わ、あ、あけまして、おめでとう」
「あけましておめでとう」
「あの、今年も、よろしくね」
「こちらこそ」
は慌てて練習した二礼二拍手一礼で参拝をし、甘酒をもらって飲み、どこか夢見心地で神社を出た。意味がよくわからなかったけれど、住所と氏名と学校と年齢まで言ってしまい、そして願い事はもちろん「公ちゃんとずっと一緒にいられますように」。公延もそこそこの時間を手を合わせていた。何を願ったのだろうか。
年明けを待つ間、には公延に聞いてみたいことがあった。それを言おうかどうしようか迷っている間に手を繋がれてしまい、きっかけを失っていた。
「ねえ、公ちゃん」
「どした。コンビニとか寄る?」
「おお、いいね。って、そうじゃなくて」
「なに」
「あの、さ、もう年変わっちゃったけど、その、去年、私と結婚して、後悔、してない?」
コンビニまではバス停を超えて少し歩かねばならない。並んで歩いていた公延が足を止める。そして、一歩踏み出すとまたの手を取って繋いだ。
「してないよ」
「……そっか」
通りは車の通行もなく、空には冬の星がきらめく12月、空気は肌に痛いほど冷たかったけれど、の頬は熱くなっていた。ふたりの繋いだ手はもっと温かく、絡まる指の爪先まで熱を帯びていた。