私をダメにするあいつ(ら)

私、将来の夢は「社会的にも人間的にも自立した女」。

別に他人がどう生きようと興味はないけど、私は一度しかない人生を男の付属品で終わりたくないの。年寄りは少子化少子化ってうるさいけど、自分の人生は自分で決める。私は別に天才じゃないし、家が裕福ってわけでもないし、どこにでもいるような高校生でしかないけど、そういう生き方を目指してる。

もちろん恋愛なんか優先順位が下。高校生は恋愛しなきゃいけないみたいな圧が鬱陶しいけど、高校生の恋愛が全て良いとは決まってないでしょ。クソみたいな男に引っかかるかもしれないし。それに、性欲で恋愛するのは嫌なの。私が恋愛に求めるのは信頼や尊敬、精神的な繋がりで互いを高め合えるようなパートナーだから。

後悔はしないと思う。私には必要ないから。

いらない。

って思ってたんだけど……

いや待って別にその考えが変わったわけじゃない。今でも目指しているのは「社会的にも人間的にも自立した女」だし、そのためには結果が伴わない可能性が高い恋愛は優先順位が低いって考えも変わらない。

だけど今私の目の前にはそんな鉄の意志を揺さぶる誘惑が……

話は文化祭2日目の昼頃に遡る。うちのクラスはレトロ喫茶をやっていて、メロンソーダとサンドイッチを提供してた。それは別に問題もなくて、目立ちたがりの数人をおだてて昭和レトロコスプレとかさせて給仕係を押し付けたので、自分の担当時間が終わったらのんびり遊べる余裕があった。

ところが、そのかわいい昭和レトロコスの女子に湘北名物のヤンキーが絡んできて、教室内は一時騒然となった。で、そのときの展示責任者が、私と木暮。

ヤンキーの相手はもう慣れたという木暮だったけど、だからといってヤンキーが大人しく引き下がってくれるわけもないし、ひとり前に出るしかなかった木暮は完全にナメられていて、軽いどつきあいになってしまい、泣き出す女子もいて、レトロ喫茶はそこで終了。展示の装飾も一部壊されて、近くにいた先生が飛んできた。

だけど先生が来たとき、ヤンキーと木暮はまだ軽いどつきあいをしていて、それを見た先生は「喧嘩両成敗」とかアホなことを言い出した。もちろんその場にいた展示担当が全員、木暮は悪くないって抗議したけど先生はヤンキーを追い払っただけで、聞き入れてくれなかった。

「そもそも喧嘩じゃないし! 先生が面倒くさかっただけじゃん!」
「しょうがないよ、あちこちで似たようなトラブルが起きてたし」
「木暮は責任者としての務めを果たしただけじゃん」

喧嘩両成敗への抗議を受けた先生はそれが気に入らなかったらしく、トラブルの詳細をかなり歪曲して担任に伝達。担任は遅れてやってくると私たちの説明も聞かずに「毅然とした態度で冷静にトラブルを収めなかった責任者の責任」と言い出し、破損した装飾の影に置かれていた塗料が倒れた後始末を私と木暮に命じた。

なので片付けも終わってみんな帰っちゃった教室に木暮とふたり、塗料落としで掃除をする羽目になっている。

そして私が喚いているのは、理不尽な責任を押し付けられたからというだけではない。

目の前で忙しなく動いている木暮の腕にドキドキしているのを悟られないためである。

……いや「である」とか言ってる場合じゃないんだって。なんでそんな腕まくりした腕が目の前で動いてるだけでこんなドキドキしてんの私。おかしいでしょ。腕。ただの腕。まあ他の男子と比べてもほどよく筋肉がついててでもすらりとしていて適度なスジが入ってるけどただの腕!

んっ、落ち着いて私。腕まくりは魅力的に見えるものだよね。木暮は学ラン脱いでシャツ姿になってて、シャツの腕まくりに腕なんて鉄板中の鉄板だし、それは人間の造形美として木暮が整った腕を持ってるだけの話で、私はそう、名工の手による茶碗に興奮しているようなものと考えれば問題はない。

……いい手の甲してんな木暮〜

だからダメだって!!! 手はダメ!!!

おいおい、ダメだろ私、そういう性欲に支配された人間になりたくないんだろ? 口では恋愛なんてって言いながら男が切れないビッチになりたくないって、それ15の時に決めた目標じゃん。人生の道標だったじゃん。私は私の人生を生きるの。男はあくまでもその付属品! 私が主体!

、手、荒れない?」
「えっ? 荒れる?」
「そう。後輩がボールクリーナーで手がガサガサになっちゃってさ。オレは平気なんだけど」

私の目の前で木暮の手がヒラヒラと揺らめく。なんておいしそうな手をしてるんだ……

「どうかな、今のところ何もないけど」
「あっ、てか塗料付いちゃってるじゃん」
「えっ!? あー!」
「これで落ちるかな、塗料落とし」

私の小指の付け根あたりにべったりと赤の塗料。私の手をそっと支える木暮の手。おっ、ちょっ、動悸がッ……! やべ心臓バッコンバッコン言ってんだけど……! なにこれ死なない? バコ死しない?

「お、落ちた落ちた。手、洗っておいでよ。塗料落としを落とした方がいいかも」
「そだね。匂いもきついし」

よし、手を洗いに行くついでにこの異様な興奮も水で洗い流して来ねば。たぶん鏡で自分の顔を見たら一気に鎮火するんじゃないかな。たまたまふたりきりになっちゃった男子にドキドキするとかいうチョロい女の浮ついた顔を見れば、情けなくなる気がする。そして決意を新たにしよう。男は付属品!

と思ったら隣の教室の前にヤンキーが溜まっておる……お前ら帰れよ……

教室のドアにもたれてため息を付いていると、ふわっと背中が暖かくなった。いや確かに今日はよく晴れてポカポカ陽気だったけど、もう日が傾き始めてて、なんならちょっと冷えてきてたんだけどこれは何だろう……と振り返った私の目に飛び込んできたのは、ボタンがひとつ空いたシャツの胸元だった。

こっ、木暮の鎖骨がっ、目の、前に……

「なんでまだいるんだあいつら。あれじゃ廊下通れないじゃないか」
「そっ、そうだよね……反対側は、1階まで降りなきゃならないし……
「まったく、学校好きだよなヤンキーって」

言いながら木暮は私の背をポンと押し出した。えっ、どういうこと。一緒に行ってくれるの。背中に当たった手が思ったより大きくて、てか間近に並ぶと背も思った以上に高くて、だから私は木暮の横顔を見上げなきゃならなくて、その横顔が想像の遥か彼方をいく凛々しさで、ヤンキーの群れに一瞬忘れていた動悸がッ……

木暮は確かにメガネだ。だけど細いワイヤーフレームのメガネだから、横から見るとレンズを通さない目がちらりと見える。文化祭が終わっても帰ろうとしないヤンキーに思うところがあるのか、ちょっと厳しい目をしている。きっと部活の間もこういう目をしているに違いない。

あーッ、その視線を全身で浴びたいーッ!

なんていうの、ほら、厳しいって言っても、木暮って穏やかで争いを好まない理性的な人で、そういう人がさ、優しく、あくまでも優しく怒るっていうの、あるじゃん。そういう説教とか……されてえな……って……

いや、なんだよそのド変態。バカか私は。てかなに私ってM女だったわけ? そういうの嫌なんですけど。性格が悪いだけの男に罵声を浴びせられて恍惚としてる女とか絶対なりたくないんですけど。……まあでも別に木暮は人に罵詈雑言とか絶対吐かないわけだから……いいんじゃね……

いやダメだって!!! ダメだから!!!

て、そんなアホなことで頭が沸騰してる間に私たちは一番近いトイレに到着。ここのトイレは手洗いが男女共用で廊下に面してるので、そのまま手を洗う。石けんを泡立てて、塗料を取り除くように、優しく、ゆっくりと、ああ木暮の手で……じゃなくて!!!

私が手を洗っている間、木暮は隣で腕組み。ちらっと横目で見てみると、また腕まくりの肘が目に入る。シャツの上からでもわかる、肩のライン。遠くからバスケット部員の中に埋もれているときは小柄に見えるけど、その肩は素人には十分な逞しさに見える。そしてその上には首筋ドーン!

筋。スジ。首のスジ。それだけがどうしてこんなに私のみぞおちを抉るのか。

で、首筋の上には例の凛々しい輪郭。

私、同級生男子は「男の子」だと思ってたんだけど、木暮は……男の人、だなあ……

「落ちない?」
「えっ?」

いやうん、確かに沼に落ちそうだけど。なんだっけ。

「あ、ああ、落ちた、と思う」
「じゃ戻るか。日が暮れるの早くなったよな」

先を行く木暮の背中を凝視しないように目を逸らすと、廊下の窓からはとっぷりと暮れた紫がかった空が見えた。こんな暗い空の下、こんなバコバコ言ってる心臓抱えて木暮とふたり。まだ塗料掃除は全然終わってなくて、あの学校大好きヤンキーどもが帰ったら本当にふたりきり。

襲えってことかな……

「よかった、もういない」
「ヤンキーでも暗い学校は怖いのかも」
は怖くない?」
「そう言われると急に怖くなった」

普通に本音だったんだけど木暮はアハハなんて笑ってる。いや君、女子が正直に怖いって言ってんだから、怖いならギュッてしようか? とか言いなさいよ。だけどこの突き放される感じは……悪くない……悪くないのか私……目を覚ませ……

教室に戻ると途端に塗料の匂いが鼻を突いて、しかもそれを逃がすために窓を少し開けておいたので、怖い上に寒くなった。でも視界に木暮がいると、その怖さも寒さも、どうしてかちょっと胸をキュンと言わす。こういうのって吊り橋効果って言うんだっけ? 違った?

そんなふうに無駄にゾクゾクしてたら、けっこう近い背後から木暮の声が聞こえてきて私は普通にビクッと体を震わせた。木暮の息遣いを背中に感じたような気がしたけど、もちろんそれは気のせい。

「あ、ごめん、なに?」
って服の貸し借りとか気になるタイプ?」
「服? いや、そんなに気にしないけど、どした?」

そしたら木暮は返事もせずにロッカーからバスケ部ジャージを取り出すと差し出してきた。ちょっと待て、それはもしかしてそういうことか?

「寒そうだから、はい。洗ってあるよ」
「え、いいの?」
「女子はスカートだから余計に寒いよな」

木暮は「女子は体を冷やすなって言うくせにスカートはいてろっておかしいよな」とか言いながら後頭部を掻いている。その手の甲の骨の動き、手の中のジャージ、そして私の限界までバコってる心臓。これは、木暮は、ちょっと照れてるんだよね? 鼻血出そうなんだけど。ていうかもう首から上が爆発しそう。

くっそどんな顔して照れてんだ木暮ェ! こっち向け! その前髪とメガネに隠された君の瞳を至近距離で見たいんですけど……! 見まくりたいんですけど! 照れて恥ずかしがって顔をそらす君の頬を両手でガッと掴んでですね、またその手を君が掴みましてね、頬染めて「やめてよ」とか、言わしてえな!!!

おい待て私、いじめられたいのかいじめたいのかどっちなんだ。

いやでも、正直どっちもおいしい気がするんですわ。SとかMとかDomとかSubとか人は人を決まった形にカテゴライズさせたがるけれど、私はそんな枠に嵌められるのはごめんだ。

確かに男子にハァハァ言って正気を無くしそうな自分には失望してる。所詮私も脳内物質に逆らえない哺乳類なのかと思うと、知的生物としての自尊心が傷つけられていくような気がするけど、だからきっと恋愛や性行為には快楽がつきまとうのかもしれない。

私はこの気持ちよさに逆らえない。

木暮に冷たい目で見つめられたいし、木暮を弄り回したい。

あのめちゃくちゃおいしそうな手を私のものにしたい。

また塗料落としの匂いに包まれながら隣の木暮をちらりと見る。凛々しい横顔にメガネのフレーム、子供を感じさせない手。見つめていることを悟られないように顔を戻しながら、静かに深呼吸をする。落ち着いて、冷静に。大丈夫、自分を取り戻せ。

ていうかさ、性欲に翻弄されたくない私と脳内物質に支配される私って、木暮相手ならどっちも捨てなくていいんじゃないか? まあ、私の「勘」に過ぎないけど、木暮ならどっちも可能なんじゃないかって気がする。木暮はいつでも私を軽くあしらって放置できると思うし、私がちょっかいをかけても無下にはせずに照れながら拒否ってくると思う。ものすごくそんな気がする。

私は冷たくあしらわれればゾクゾクして喜び、照れて拒否る木暮を見ればゾクゾクして喜ぶだろうから、全然大丈夫。昼は理性、夜は本能、みたいな。やべえ、こんな人畜無害そうな木暮とそんな表と裏、逆にエロいんじゃないの。あ、これエロなのか。エロいことなわけね。そっか、私いま、エロい気分なんだな。

なんかそういうのも悪くない。バコバコ言ってた心臓も落ち着いてきた。

で、塗料を落とし終わったと職員室に報告に言ったら、やけに機嫌のよさそうな先生がすごく労ってきた。学校の先生ってすごく気分屋だよな……。と、ちょっと呆れてたら、先生が「お駄賃」て言いながら茶封筒を差し出してきた。中から出てきたのは江ノ島水族館のチケット。後夜祭のビンゴの景品だったらしいんだけど、出なかったから私たちにくれるという。木暮は「にあげるよ」と言う。

「え、なんでよ」
「いやほら、受験生だし、一緒に行く人もいないし」
「受験生は私も同じだけど」
「水族館くらいならいいんじゃないの? 勉強になるかもしれないだろ」

教室に戻って荷物を取り、真っ暗な校舎を足早に抜けて昇降口へ。靴を履き替え、冷たい風の吹く外に出ると、メガネの向こうの木暮の表情は見えづらくなってた。だからまあ、いいかなって。

「だったら一緒に行こうよ。土曜の半日くらいならよくない?」

案の定、木暮はちょっと慌ててるというか、照れてるように見える。ま、ジャージ貸してくれるくらいだから、押せばいけるかなとは思ったけど。なので私は優しくとどめを刺す。

「じゃ、今度の土曜日ね。ジャージはその時返すから」
「わ、わかった……

先を行く木暮はまた無言で後頭部を掻いている。あれは照れたときの癖なのかも。

水族館で私と木暮が本当に噛み合ってるのかどうか、確かめよう。そしてもしそれが正しかったなら、あのたまらなくおいしそうな手を勝手に繋いで、自分の中の「裏」を解放しよう。そして今日まで私が夢見ていた自立した女を忘れてしまおう。

ダメだこれ、私こいつのせいでダメんなるわ。

END