私、将来の夢は「社会的にも人間的にも自立した女」。
別に他人がどう生きようと興味はないけど、私は一度しかない人生を男の付属品で終わりたくないの。年寄りは少子化少子化ってうるさいけど、自分の人生は自分で決める。私は別に天才じゃないし、家が裕福ってわけでもないし、どこにでもいるような高校生でしかないけど、そういう生き方を目指してる。
もちろん恋愛なんか優先順位が下。高校生は恋愛しなきゃいけないみたいな圧が鬱陶しいけど、高校生の恋愛が全て良いとは決まってないでしょ。クソみたいな男に引っかかるかもしれないし。それに、性欲で恋愛するのは嫌なの。私が恋愛に求めるのは信頼や尊敬、精神的な繋がりで互いを高め合えるようなパートナーだから。
後悔はしないと思う。私には必要ないから。
いらない。
って思ってたんだけど……!
いや待って別にその考えが変わったわけじゃない。今でも目指しているのは「社会的にも人間的にも自立した女」だし、そのためには結果が伴わない可能性が高い恋愛は優先順位が低いって考えも変わらない。
だけど今私の目の前にはそんな鉄の意志を揺さぶる誘惑が……
たまたま、本当にたまたま、花形と私がペアになったのは完全に偶然。3年になってすぐの4月、「プレゼン力を鍛えるために5月の遠足の内容を考えて発表」とかいうよくわからん司令が3年生全員に下った。先生たちが楽をしたかっただけだと思う。そこで私と花形がペアになった。そこまではよかった。
花形とは1年の時に同じクラスだったし、仲のいい友達の彼氏がバスケ部員だったせいもあって、名前と顔は一致してるし話したこともある、っていう関係だった。ていうか私にとって花形ってのはそこまでの人物で、バスケットの名門チームの副主将だし、それ以上の関係になりようがない人、っていう認識だった。
それが唐突にペア。司令が下った日の放課後、部活が忙しすぎる花形が20分までなら遅刻できるというので教室に残った。それも別に特別には感じてなかった。机を寄せてメモを用意して、スマホ置いて。花形が飲み物買ってきてくれたから、それも並べてみたりして。
「別に採用されたいとは思わないけど、わざと雑にやるのもどうなんだろうな」
言いながら花形は身体を傾けて、その長過ぎる足を組んだ。
というか、私、こんなふうに間近に花形を見るの、初めてかもしれなくて。あと、この人身長が2メートル近くあるから、立ってると顔がよく見えない。ついでに身長が高すぎるせいで花形は必ず最後列の席って決まってて、だからこんな近くで、かつ同じ目線で花形の上半身を見たのは初めてだと思う。
で、なんで私は、花形の前髪に、興奮してるのだろうか。いやおかしいだろ前髪にキュンと来るって。
私、髪フェチではなかったはず。中学ん時に好きだった子はベリーショートだったし、坊主も好きだし、ぶっちゃけハゲでも好みならイケる。だから花形のサラサラの前髪に下っ腹がムズムズするなんてことはないはずだし、私の目指す方向と違いすぎるのでほんとやめてほしい。
「かといって真剣にやりすぎても逆に恥ずかしい感じがする、とか?」
「そうそう、そんな感じ。よかった、もそのくらいのテンション?」
「ま、まあね」
そのくらいのテンションどころかやばめなテンションだよ、どうしたらいいのこれ。
いや落ち着け、私は髪じゃなくて、強いて言えば男女の別なく手フェチのはずなん――おいまじかすっげえでっかいイケハンドが目の前にあんぞ!? いやイケハンドってなんだよ、わかんないけどとにかく花形の手、むちゃくちゃかっこいいんですけど……いや見るな、見てはいけない。
「てかどうよ、行きたいとことかある?」
手を見るまいと顔を上げると、さらりと流れる前髪と軽く傾げた首、眼鏡の向こうの目は少しだけ細められていて、あれ、なに、花形ってこんな優しげな表情するんだ……ちょっと待って、なんか、顔が熱いんだけど、おいやめてくれよ赤くなってないだろうな私。
「行きたいところ……特にないんだけどなあ」
「あはは、オレも」
んっ、ちょっ、待て、笑った顔、かわいい、くそっ、腕がムズムズする、なんでだ!
「てことは、ある程度ちゃんとプレゼン出来る内容で、でも軽く作ってある、みたいな?」
「んー、でも採用されなかったら負けた気になったりして」
「やっぱり負けるのは嫌?」
「もちろん。それがなんであれ、負けるのは嫌だ」
てか今気付いたけど……花形、声いいね……あれかな、身体大きいから響くのかな……あの声に耳元で囁かれたらどんな感じがす――なんでそんなこと考えてんだ私! 今すぐ忘れろ!
くそっ、私はそういうのやだって、恋愛はどうでもいいし、もし恋愛するならもっと知的でプラトニックで理性的で、なおかつ人間としてお互いを理解し合えるような関係がいいってずっと花形って確かすっげえ成績良かったはずだから知的なロマンスは余裕なんじゃないかな〜ってやめろ私!!!
ちょっと待て、なんで「知的」で興奮してんだ私は。脳内にハードカバーのページをめくる花形が眼鏡をくいっと直してるんだけど、なんでそんなものにヨダレが出そうになってる……?
でもその「知的」には私の望む高度で精神的な絆と理性的な信頼関係が近いんじゃないか? 私はとにかく校内に溢れかえるパンツ見えそうなスカートの女子とそれにヨダレたらしてるような男子みたいな人間になりたくないだけなの。だから花形のこの「知的」はそれとは真逆にあると思うんだよね。
シャツのボタンは全部かけてあって、パンツは腰履きしたりせず、靴下も汚れてなくて、レトロなインテリアの部屋とかで、窓の向こうに静かに降る雨、花形の長い指がめくるのは純文学で――そう純文学――明治――江戸川乱歩……エログロ……乱れた花形……敷布団と畳が逆にエロい……
「いやダメだって!!!」
「うわ、お、落ち着け、そうだよな、負けるのは嫌だよな」
冷や汗出てきた。冷や汗出てるけど、これはどう考えても「ムラムラ」来てる状態で、そんな自分がショックでもあり、だけどそんな自分を花形に受けて入れてほしいという抗いようのない欲求がふつふつと。がっかりだよ。私も所詮そういう脳内物質に翻弄される程度の人間だったってことかよ。
そんな私にまったく気付いていない様子の花形はペンを持った手で頬杖をつく。
「でも、完全勝利を求めるのは逆にリスクだと思う」
「どういう意味?」
「ただ採用されればいいのか、内容も妥協しないのか」
「それは……採用されなかったときに負けた気になるかどうかなのでは」
つい花形に合わせてしまった形になったけど、私にとって採用不採用はどうでもよかった。でも花形は負けたくないんだろうし、それに付き合うことは出来る。なのでそう聞いてみたんだけど、花形は突然身を乗り出して真剣な表情になった。顔近。思わず身を引いちゃったけど、嫌悪してるって思われたかな……。
「なあ、はそーいうのどう思う?」
「そーいうの?」
「競技は勝敗がすべてなのか、そのための努力が本質なのか」
そんな難しい質問を私にしてどうするつもりなのだ……。そんなの競技をやってる人すべてがブチ当たる問題だろうし、私は競技やってないから考えたこともない問題だし。だけど誰もいない教室に潜めた声は、私たちだけの密やかな内緒話のように聞こえて……
だけどそこでふと気付いて、言ってみた。
「……迷ってるの?」
花形ってそういう人間臭い感情が希薄なイメージがあった。部活ばっかりなのに成績いいし、理性的で、落ち着いてて、余裕あって。なのに、結果と過程で迷ってるなんて、意外だった。
すると花形はサッと顔をそらして俯き、自分の首を撫でた。うう……さらりと流れ落ちる前髪に顔を突っ込みたい……俯くと肩幅が広いのが強調されてムラムラが加速する……
「本当は……迷いなく『勝敗』って言いたいんだけど」
「花形、頭いいから、シミュレーションしちゃうんじゃないの。負けたときの」
顔に風を感じるくらいの勢いで花形が顔を上げた。すっげ顔近い。やっべキスしそうじゃん。
「すごいな、なんでわかったんだ」
「なんでって、いや私もよくわかんないけど。きっと人より色んなこと考えちゃうんじゃないかなって」
きっとこんなムラムラで頭いっぱいになってる私みたいな状態ではないだろうなって。ていうか目がキラキラしてんよ花形……そーいうワンコっぽい表情するなよ……撫でたくなるじゃん……
「そうなんだよ、自分ではいつも勝利のことしか考えないつもりなんだけど、つい試合のことを考えると、この試合に負けたときの気持ちの始末はどうつければいいかとか、この試合と別の試合では勝ち負けの感じ方が違うだろうなとか、つい、考えちゃって……」
それはごく普通のことなんじゃないかと私のような煩悩人間には思えるんだけど、花形にとって厳しい勝負の世界を迷うことは、頭を抱えるほどの悩みになってしまうのかも。このつまんない「課題」ですら「勝敗」を意識してしまうほどに。
…………そんな弱音をチラ見せしてくれるのたまんないんですけど――!!!
ムラムラ来てる人間がどれだけ外道かってことは、今、身を持って知りました。花形しんどいんだね、私でよかったら力になるよ、って言ってあげたい気持ちの9割にはたぶん下心がある。このでっかいイケハンドを包みこんで甘やかしてあげたくなっちゃうのは、自立した女からは程遠いのにね。
ていうかムラムラに慣れてきて、ちょっと楽しくなってきたんだわ。わくわくするっていうか、これから楽しいことが始まる期待に心が踊るっていうか。
で、私は今、すごくチャンスなんだってことは、気付いてるわけです。
「ねえ、忙しいとは思うんだけどさ、休みの日とか、少し時間取れないかな」
「え?」
「それまでにお互い少し考えてみて、よさそうな案が出たら下見に行かない?」
花形止まる。やば、しくじったかな。
と思ったら照れくさそうに微笑んだ。
釣れたァ――!!!
「わかった、調整してみるよ」
「たぶん、実際に見てみたら、勝敗なのか内容なのか、見えてくるかも、しれないし」
「――ああ」
ふんわり微笑む花形。ちょっと目をそらして口元を手で覆い隠してる。その手を掴んで引き剥がしてペロッといきたい衝動を飲み込み、私はスマホを差し出す。それにはいつでも連絡取れるようにしないとね。
数週間後、花形は本当に時間を作ってきた。午後ナカには練習に行かなきゃならないって言うけど、それでも私と待ち合わせて「下見」に出かけることになった。私服が眩しい……腕時計してるだけで手がよりかっこよく見えるのはなぜなんですかね……てか私服の方が体のラインがよくわかるね……
お互い捻り出した案はいくつかあって、私も花形も行ったことない場所を下見してみる、という体の、私にとってはデート。デートなんですよ。だって予定通りにいけば観光地覗いてお昼食べてまた観光地覗いてお茶して帰るんだよ。ほとんどデートじゃん。フゥー! スキップしたいくらいだぜー!
「あのさ」
「えっ?」
「これ、今日だけで下見終わらないかもしれないだろ」
「そうだね、ちょっと移動距離が長いし。でもまあ無理せずに行けるところまで」
「そしたら、また時間作る、からさ、今日、ちょっと話、出来ないかな」
耳にドクン! てすごい衝撃が来た。こんな漫画の擬音みたいなの、本当に聞こえるなんて。今日は並んで立ってるから遠くて見えにくい花形の横顔はどうしてか少し照れているように見えて、だけどきっとその本音は迷ってしまう心を曝け出してしまいたいのだろうから。
「……この間の、迷ってる話?」
花形は無言で頷いた。コクン、て。
コクンは卑怯だろお前――――!!! 今どき少女漫画でもなかなかお目にかからねえよー!!!
あああそのコクンで落ちてきた前髪に隠された眼鏡に隠されたありのままの君の瞳を見せてくれ……そして照れた口元をそのイケハンドで隠しながら本音を私にぶつけるがいい……
「いいよ、早めに切り上げて、お茶しよっか」
「……ありがとう」
まだ彼の中で私は親切な女子くらいでしかないかもしれない。だけど私にはわかる。そうやって甘えさせてくれる私をいつか手放せなくなってしまうに違いない。で、また悩むんだよ、この人。好きなのか都合がいいだけの女なのか、わかんなくなっちゃって悩むんだよ。
それ見てえ〜! 手のひらの中に吐き出したため息に揺れる前髪〜!!!
はは……自立した女どこ行ったんだろうな……ムラムラした女だよ私は……
ダメだこれ、私こいつのせいでダメんなるわ。
END