私、将来の夢は「社会的にも人間的にも自立した女」。
別に他人がどう生きようと興味はないけど、私は一度しかない人生を男の付属品で終わりたくないの。年寄りは少子化少子化ってうるさいけど、自分の人生は自分で決める。私は別に天才じゃないし、家が裕福ってわけでもないし、どこにでもいるような高校生でしかないけど、そういう生き方を目指してる。
もちろん恋愛なんか優先順位が下。高校生は恋愛しなきゃいけないみたいな圧が鬱陶しいけど、高校生の恋愛が全て良いとは決まってないでしょ。クソみたいな男に引っかかるかもしれないし。それに、性欲で恋愛するのは嫌なの。私が恋愛に求めるのは信頼や尊敬、精神的な繋がりで互いを高め合えるようなパートナーだから。
後悔はしないと思う。私には必要ないから。
いらない。
って思ってたんだけど……!
いや待って別にその考えが変わったわけじゃない。今でも目指しているのは「社会的にも人間的にも自立した女」だし、そのためには結果が伴わない可能性が高い恋愛は優先順位が低いって考えも変わらない。
だけど今私の目の前にはそんな鉄の意志を揺さぶる誘惑が……
「うーん、オレ、風邪もあんまり引いたことなくて」
「それはいいことじゃないの……」
「でもバカは風邪引かないとか言われがちじゃん」
「神にそんなこと言う人いるの……」
「え、いるいる」
私が微妙な返事しかしてないのは、この距離感がおかしい同じクラスの神宗一郎くんが、私の顔を覗き込むようにして話しているから。本人顔が近いということに自覚があるのかないのか、とにかく別に付き合ってるわけでもないクラスメイトにそんな顔近付けてくる? っていう距離。
ただまあ、神が顔を寄せてきてるのには一応理由がある。
文化祭が近くてどうせ授業がなあなあになる時期だから、ってことで、世界史の授業がグループ課題になった。テーマは「残念な偉人」。先生やる気ないだろ……
で、そのグループ分けがくじ引きだったので、私と神と、もうひとり男子が組まされた。先生もやる気ないだろうけど私たちもやる気ない。神なんか毎日部活で忙しいんだから放課後に偉人の粗探ししてる暇なんてないのに、一応学業優先しなきゃいけない建前だから練習を休む羽目になった。
でも神が所属してるのは、そんなことでホイホイ休んでいいような部活ではなくて、普通に全国大会で優勝を争うようなバスケ部なので、せっかく練習休めたんだから今日中に終わらせよう! と意気込んで、もうひとりの男子の家にやってきた。学校から一番近かったから。偶然全員チャリ通だったし。
なのに! もうひとりの男子が! 低気圧に弱いとかで! 薬飲んで寝オチ!
ただでさえ慣れない男子の部屋に女子ひとりで居心地が悪いというのに、低気圧でダウンした彼を気遣ったのか、神は声を潜めている。なので顔が近い。
なんでこの人こんな目がキラキラしてんだろう……
そもそもこの神は「その他大勢」から次期主将候補にまで上り詰めた努力の人としてみんなの崇敬を集めてたような人だし、その上かわいい顔をしていて、目が大きくて、なのでとても人気な男子であり、だけどそれが逆に近寄りがたいという、まあわかりやすく高嶺の花だった。
ていう自覚ないっぽいよ、この人……
低気圧負け男子の部屋はたぶん、5畳とか6畳くらいだと思う。私の部屋と同じくらいだから、そのくらいのはず。そこにベッドと、学習机と、巨大なゲーミングデスク。おかげですっげえ狭いのよ。うちで課題やるべーって言い出したの本人だけど、その本人もけっこう体が大きくて、神はすっげえ背が高くて、だからそれだけでも距離は近かった。
なのに顔が近い。
そして潜めた声、たまに見せるニヤリ顔、丸めた背中に大きな手としっかりした肩。それらが目の前に迫ってきてしまい、男に振り回される生き方はしたくないって心に決めていた私は全身全霊をガックンガックン揺さぶられておりまして……
それが情けないあまり、生返事。これ私、漫画のキャラだったら白目だよ。
それに私、この神には嫌な記憶があって、いや神がなにかしたわけじゃないんだけど、その時の嫌な気持ちまで蘇ってきてしまって、余計に落ち着かない。
神とは今年はじめて同じクラスになったんだけど、1年のときは隣のクラスだった。なので選択授業なんかでは混合にされることもあって、そのせいで神のクラスの女子とは話す機会が多かった。当時から神は人気者で、特に大人しめの女子が彼に夢中になってた気がする。
その中のひとりが「神と付き合えたら奴隷で構わない」と言い出した。
私そういうの無理。プライドってないわけ? それってパートナーじゃないじゃん。と、当時の私は大変不快に感じたんだけど、その時のグループの女子は「あーわかるー!」とか盛り上がってた。わかんねえ。調子に乗ったのか「パシリにされて殴られても神なら許せる」とか言い出したときには背筋が震えた。気持ち悪くて。
そしたら私の隣にいたギャルっぽい子が囁き声で「言いたいだけだから、ほっときな」って言ってくれて、まあそうだよなって、実際にそんなことされたら怒るんだろうなって、なんとか気持ちを宥めたんだけど、だから神を見ているとあの子たちを思い出しちゃって、思い出しぞわぞわ。
でも、神本人が何かしたわけじゃ、ないじゃん?
背中を丸めた神はテーブルの上で腕を組んでて、肘のあたりに手のひらを乗せてるんだけど……指なっが……
背が高いと指もこんなに長くなるのか。てかそうか、これであのでっかいバスケットボールをひょいって掴んじゃうわけでしょ。私の頭も一掴みって感じだな……いや私は被虐趣味はないのでそれは困るけど……
まあそう、強いて言うなら長い指で髪を梳かれたい、とか……
いや何考えてんだよ私は!!! 微妙に乙女っぽい発想が余計に凹むわ!!!
はいはい、こんな逃げ場のない非日常なシチュエーションのせいで混乱してますよ。大丈夫、私も実際にそんなことされたら「わっ気持ち悪い」とか思うだけだから、所詮ささやかなイメージの飛躍だから、この指が私の髪に触れる理由は何ひとつな
「あ、髪になんか付いてるよ。なんだろ、葉っぱかな」
触ったァーーー!!!
優しく、あくまでも優しく、つん……て髪が引っ張られる。あの長い指が私の髪を摘んでいるのは見えない。ただそれを想像させるに充分な感触があるだけ。それが、それが逆にエロい!!!!!!
んっ? エロい? いや別にエロくはないだろ。ゴミ取ってくれただけ。親切。
「わ、前髪、目に刺さりそう」
ハーーー!?!?!?
顔近い手近い声近い息かかるやめろおい私の前髪を暖簾みたいにかき分けるなデコに指触ったし
「勝手にごめん、オレ髪が目に入るのほんと苦手で、つい」
「そか、だからそんなベリショなんだ……」
「乾くの早くて楽だしね。シャンプーも少なくて済むし」
「え、意外。そういうの、こだわりがあるタイプかと思ってた……」
「いや全然。家帰ったらもう疲れて何もしたくないタイプ」
「まあそうだよね……」
てかいいんだろうか、こんなどうでもいい雑談してて。課題やらないと、神がせっかく練習休んでくれたのに。たかが男子の指ごときでハァハァ言ってる場合じゃないんじゃないの。せめて偉人を誰にするかくらいは絞り込んでおいたほうがいいんじゃないの。
「課題、先にやっちゃった方がいいよ、ね? 貴重な時間なんだし」
「…………うん、休むの、久しぶり」
なにその溜め。神てこういうところあるんだよな。掴みにくい。ポーカーフェイスって言えばなんかちょっとかっこいいけど、喜怒哀楽が弱いっていうか薄いっていうか、男子の中で喋ってるときなんかは笑ってたりもするんだけど、悪ふざけのバカ騒ぎみたいなのはしない。
すると神は丸めていた背中を少し伸ばして、後ろ側に腕を突いた。うん……やっぱり肩いいわ……
「別に練習やだとかじゃないんだけど、こういうふうに放課後を過ごすの、久しぶりすぎて」
「うちのバスケ部でそれは無理だよね」
「わかってて入部したんだから望むところなんだけど……こういうのも、いいなって」
よくわからない溜めと、意味ありげに少し伏せられた目。わかんねえ〜〜〜
全国レベルのバスケ部で鍛錬鍛錬また鍛錬そして試合、みたいな人物とは思えないほど、神ていう人は、一見大人しい。本当はどんな人なのか、大人しく見えてるだけで実際はそんなことないのか、それはたぶん誰も知らない。少なくとも同学年の認識ではずっと彼女いない。
だからそれも謎じゃん。今日まで神に興味なんかなかったけど、この近さで本人を目の前にすると謎すぎる。そしてその突き出た肩がこう……いい感じで盛り上がってましてね……やばい、触りたい……
いや肩なんか触ってどうすんの。ナデナデすんの? うわ気持ち悪。
てかさ、あれどういう意味なんだろう、性的なことでマウント取ってくるやつ。ロストヴァージンはもちろん、男子の体に興奮することを自慢気にしてくる子とか、多くない? だからなんなの。男子に欲情して鼻息荒くして奴隷になりたいことがなんで自慢になるの。なんでそれがマウントになるわけ?
私はそういう人間になりたくない。好きな人とは必ず精神的に繋がりたい。
体の恋愛と心の恋愛は必ず一緒であってほしいし、心の恋愛が発展した先にあるのが体の恋愛であってほしい。それに、そういうものは自分の生きる道のほんの一部分であって、それに依存して振り回されて時間を浪費したくない。私の人生の主役は私。誰かの物語の脇役になるつもりはない。
だから耐えるんだ私。低気圧負け男子はいびきかいて寝てるけど、あと数時間の我慢。
そして明日になればまた神は挨拶くらいしかしない同じクラスの男子に戻る。だから――
「……って、普段こういうふうに誰かと遊んでるの?」
たっぷり溜めて首傾げてツヤッとした真っ黒な目で言うんじゃねえ――!!!
「ま、まあ、空いてる日は、そういうこともあるよ」
「そっかあ……」
「バイトしてるから、そんなに多くないけど」
「バイトかあ……」
だから何なのその溜め。
「バイトって……どんな感じ?」
「どんな感じって、労働だよ。うちはお小遣い少ないから、金目当てのバイト」
「楽しい?」
「いや全然」
「そっか……」
近所のドラッグストアのバイトだけど、別に楽しくはない。お小遣い欲しさにやってるだけだし。だが問題はそんな話題に目をきらめかせて私を凝視している神なのですが……。これ例の奴隷願望女子だったら腰砕けて立てなくなっちゃうんじゃないの。
くっそ、この目のキラキラがつらい……! その視線から逃れたくて目を逸らすと首筋が……! 運動部だから外走ってることも多いはずなのに、なんで神てこんな色白で滑らかな肌してるんだろう……どんな匂いすんのかな……匂い……そしてペロッと……
いや気持ち悪いって言ってんだろ私!!!
こんなの……こんなの気持ち悪いおじさんしか言わないと思ってたのに……私は……
なんだか悲しくなってきた。私は清楚なふりして下半身ユルユルな女にはなりたくない。性欲余らせすぎて隠せない女にもなりたくない。なのに私の脳は隣で首筋と鎖骨を惜しげもなく晒している神の肌に吸い付きたいと喚く。つら。どうして抑えられないの。
「わかってたはずなんだけどね」
「ほんとに……」
「えっ?」
「え!? ごめんなんの話だっけ」
マジで神の声が聞こえてなかった。つい自分の脳内の悶々とした感情に返事をしてしまったけど、何の話だ。
「だから、バスケとこういう放課後は両立出来ないってわかってたはずだけど、って話」
「……マジで休みないもんね。今日はなんで大丈夫だったの?」
「あー、ていうか休んでないんだよね。終わったら戻るから」
「……じゃあやっぱり早く終わらせなきゃじゃん!」
ていうかそんな話聞いてないぞ! 早く言えよそういうことは! 私らのせいにされても困る! と慌てて低気圧負け男子のノートPCを引き寄せた私の手を押さえてしまった。うわうわうわ手が重なってん……! やば、私の両手が片手ですっぽりじゃんよ! はあ……神の手、ちょっと冷ため、すべすべ、骨っぽさ意外とない……はああこの手で撫で回されてえ〜
「いや、いいよ、まだ早いし、大丈夫」
「でもこんな無駄な時間」
「……無駄じゃないよ」
おい溜め。でも……これって神の癖なんじゃないかな。わざとらしさもないし、かといって何か考えてる感じでもないし、こういう溜めを入れがちな喋り方の人なのかもしれない。それに、ちょっと伏せた目はゆったりうっとり、もしかしたら神はハードすぎる部活からいきなり切り離されたことで、めちゃくちゃリラックスしているのかもしれない。そして低気圧。なんかすごい下がってるらしい。私は興奮してるけど。
……私、低気圧で興奮してるんじゃないか!? なんの根拠もないけど!
神はパソコンの向こうに置いてあったお菓子をひとつ口に放り込むと、ふうと息を吐いて後ろに倒れた。背もたれイスに寄りかかり、頭の後ろに腕を置く。抱きついてくださいと言わんばかりの体勢という気がするのは私の思い込みだろうか。
てかほんとなんでお前シャツのボタンひとつ外してんだよ〜相変わらず鎖骨見えてんよ〜
低気圧負け男子は吐き気と頭痛で薬飲んで副作用でダウン。神はどういうわけか目がキラキラし始めてウルトラリラックス。なぜか私は鼻息荒く興奮し始めて神にムラムラ来ているという、なかなかの惨事だと思うんだけど、どうしたらいいのこれ。
「あ、でもは退屈だよね」
いやまったく退屈してませんが。
「オレ、面白くないしな〜」
いや面白いですよ、色々。面白いっていうか美味しそうっていうか。
「そんなこと、気にしなくていいのに」
「ごめん」
「謝ることでもなくない?」
もしかしたら神はこれでも気遣ってるつもりなのかもしれない。そのとろりとした目に私の意志はグラグラ揺さぶられっぱなし、何を信じればいいのかよくわからなくなってきてるし、こんなに簡単にムラムラに支配されちゃうんだな……っていう諦めの気持ちが少々。だからまあ、色々どうでもよくなってきた。
それにきっと神とこんなふうに無気力な高校生みたいな時間を過ごしたことがあるのは、私だけ。
「たぶんオレの最初で最後の『だらけた放課後』、よかったら付き合ってくれない?」
膝に置いてあった私の手に、神の手が重なる。握手っぽい感じのカジュアルなスキンシップ。
だけど頷く私の脳内は大爆発、今すぐ奇声を上げて神に襲いかかりたいと暴れている。
落ち着いて私。鼻息ダメ、ハァハァダメ、ヨダレもダメ! 耐えろ! たぶん数時間の我慢だ! 課題は確実に間に合わないと思うけど、そんなことよりこのムラムラを抑えて今を乗り切る方が私の人生にとっては重大な意味を持つはずだ!!! くっそつらい!!!
ダメだこれ、私こいつのせいでダメんなるわ。
END