「レッスン・ワン、神さんはやかましい音が苦手」
「それっぽい」
「ツー、神さんは辛いものが好き」
「わ、意外」
「スリー、ポーカーフェイスなだけで、すごく優しい」
「先輩は地球を救う」
「フォー、でも部活のことになるとすごく厳しい」
「尊い」
「お前やる気あんのか」
指示通り見学には変わらずに通っているは、休憩時間になると体育館を離れて清田からレクチャーを受けるようになっていた。確かに清田の言う通り、最近の2年生女子のアプローチは執拗になっている。
しかし清田から出てくるのもこんな「プロフィール情報」程度。
「やる気はないけど先輩は尊い」
「んじゃオレから聞いた神さんてどんな人」
「まさに神」
「ダジャレかよ」
だが、清田からもたらされる情報は今のところのイメージする神先輩から大きくかけ離れることはなく、そもそも清田本人が普通に先輩を慕っているので、ポジティブな情報しか出てこない。それで人物像を把握しろと言われても「私の推し最高」しか出てこないのは仕方あるまい。
「てか差し入れのリサーチはどうなってんの?」
「んっ、まあ、それがだな」
「出来てないわけね」
「しょうがねーだろ! 女子みたいに雑談の入口が広くないんだよ!」
「それ女子男子関係あんの?」
清田はが自分と同じクラスであることをダシにして軽い差し入れから、と考えたようだったのだが、そもそも差し入れは2年生女子をはじめ毎日のように押し寄せている状態。強いて言うなら「いらない」が神の正直なところかと思われる。なのでその案は早くも暗礁に乗り上げている。
「もし自分だったら何がほしい?」
「えっ、オレ? うーん、別に何もらっても嬉しい気がするんだけど」
「もらったことないからそう感じるだけじゃなくて?」
「失敬な」
「何もらったの?」
「えーとだからそれは」
「ないんじゃん!」
「しょうがねーだろみんな神さんのファンなんだから!」
それにこの通り清田は非常に「男児」っぽさが強く、同世代の女子がうっとりと手を組み合わせるような要素に乏しい。一方神はその対極とも言える落ち着きと清潔感の持ち主なので、特にガキっぽい男子より年上の青年好みの女子に人気だ。
「うーん、そんなこと言ってても結局モテるようになるんじゃない? 時間の問題」
「でもオレ去年まったくモテなかった」
「海南に特待で入るようなバスケ部員がなぜ……」
「バスケ抜いたら他は壊滅的みたいな言い方しないでもらえますか」
はしかし、この少年っぽさがいずれ母性本能くすぐるタイプに成長していくのでは……と思った。特に自分たちが3年になった時、新入生は親しみやすくて楽しい先輩に惹かれるのではないだろうか。そして気付けば差し入れや声援が届くようになるはずだ。
「てか緊張しいなのかと思ってたけど、オレ相手なら普通に喋れるじゃん」
「緊張しやすいタイプなんだけどなあ……あんたが特殊なんじゃないの」
「まあな。オレはいい意味で庶民派だから。人に緊張感を抱かせないオーラってのを生まれつき持ってる」
「ポジティブで自信家ってあんたみたいなことを言うんだろうね……」
「褒められてる気がしねえんだけど」
清田がいくら何を言おうが神を目の前にペラペラと喋れる気はしない。考えただけでも動悸が激しくなって、体が冷たくなり、逃げ出したい衝動に駆られる。そしてそんな挙動不審な自分を先輩に見せて困惑させたくない。なぜか清田の提案に付き合うことになってしまったけれど、影で応援していられればそれでよかったのに。
それに比べれば確かに本人の言うように清田は気楽だ。元々同じクラスの男子だし、その「庶民派」な雰囲気のせいか緊張はしない。緊張はしないというか、怖くない。何か変なことを言ってしまっても機嫌を損ねてしまっても、いつまでも根に持たないように見える。
「オレと喋ることで練習になればと思ったけど……」
「ならなそうだね」
「ま、そもそもオレが神さんの代役ってのが無理あるわな」
「でも先輩と仲いいんでしょ」
「仲いいっていうか、3年の中にオレたちふたりだけ後輩ってことが多いから」
「なのに差し入れのリサーチすら出来ないのか……」
「いやお前、神さんてめっちゃシンプルな人なんだって! それがなんかかっこいいてのもあんだけど!」
というか単純に清田は神を先輩として慕っている様子。そんな風に清田を挟んで聞く推しの話はとても楽しい。あくまでもそれは清田というフィルターを通した神先輩であり、本人の持つオーラを感じることもなく、どこか遠い世界の話として受け止められる。
なので毎回休憩時間の秘密会議は盛り上がってしまい、練習にはならなかった。
それがどれくらい続いただろうか、気付けば例の予選は終わってしまい、神先輩は2年生ながら神奈川ベスト5に選出されるという活躍を見せていた。も試合観戦はしていたのだが、あまりの迫力に先輩を目で追うのがやっとで、試合が終わる頃にはドッと疲れていた。
かと思えば清田の予想通り、次期主将に相応しい栄誉に輝いた神のもとには真剣な様子の告白が殺到、しかしその理屈のほとんどが「これから大変な舞台へ赴く神くんを1番近くで支えられる人になりたい」というものだったらしい。正直部外者に助けてもらうことがない神先輩はそれらを全て断り、ファンカーストが大変動を起こしたためにちょっとした騒ぎになっていた。
「いやマジで疲れてんのよ……」
「なんであんたが疲れてんの」
「オレが神さんの取次店になっちゃってんのよ」
「まだそんな状態なの」
「神さんは神さんで変に女子とギスギスしちゃってるし……」
ただでさえ今年のバスケ部は「海南大附属史上最も優勝に近いチーム」と言われていて、事実神奈川県予選では全勝優勝を果たしており、そんなことをしている暇がないというのが実情。神と直接話すなどやっぱりとんでもないだったけれど、バスケ部の内情を知るにつれて妙な同情を感じるようになっていた。
なので本当に疲れている様子の清田に、バッグの中からアイスボックスを取り出して手渡した。
「え、なにこれ」
「何って、差し入れ? 私も買ってきたけど。溶ける前に食べない?」
「え、もらっていいの?」
「どうせ差し入れ来ないんでしょ」
蒸し暑い6月、そろそろ屋外での秘密会議がつらくなってくる頃合い。は休憩が始まる前に見学を離れ、正門の向かいにある古びた食品店でアイスボックスを買ってきた。これなら休憩中の清田でも問題ないはずだ。
「なんか悪かったな、逆に」
「別にこんなの、いくらだっけ、100円ちょっとじゃなかった?」
「はあ……このくらいの気軽さで神さんに差し入れしてくれれば……」
「いらないんならあんたが神先輩に渡してくればいいでしょうが」
「え、いやそういう意味じゃないって」
「じゃ食べなよ。は〜湿気うざ」
さっさとパッケージを開いて氷をガリガリ噛み砕いただったが、清田は「ありがとな」と言いながらそっと頭を撫でてきた。瞬間、口の中の氷の冷たさが脳に直撃し、はウッと息を呑んだ。
清田は「体感温度高くないのに熱中症が多いんだよな〜」などと言いながら氷をボリボリと食っているが、は自身に襲いかかってきた異変でくらりと目眩を起こしていた。頭がキーンとなるのは氷の冷たさのせいのはずだが、どうしてか急に緊張が走り、胸がドキドキしてきた。
まさか熱中症? と思ったけれど、そこまでの具合の悪さは感じない。秘密会議は毎度体育館から見えない場所で行われており、最近は部室棟エリアの目立たないベンチが定位置になっていた。風通しの良い場所だし、近くの木がほどよく日差しを遮るし、体調不良とは思えない。
なのに、なんだこの緊張感は……
「あれ、どした」
「ん〜、なんかよくわかんないけど、急にくらっと」
「気圧とかかな。天候が不安定だし湿気すごいし、無理すんなよ」
「うん……そうしようかな」
気候で体調不良の経験はなかったが、正直生理前でもあったは、異変への深追いはやめて素直に頷いた。清田のように頑健な体をしているわけじゃないし、テストも近いし、バスケ部のことは心配だが部外者だし。
すると先に立ち上がった清田の手が目の前に差し出された。手を貸してくれるらしい。
「あ、ありがと。今日は早めに帰るよ」
「まあまだ夏休みに入るまでは時間あるし、神さんのことも徐々にな」
「そだね」
言いながらその手に掴まって立ち上がったは、また胸に強い圧迫感を感じて目を閉じた。なにこれ。
「……マジで具合悪そうだな。ひとりで帰れるか?」
「うん、大丈夫。ごめん」
「こんな時に遠慮すんな。オレらも異変を感じたらすぐに言うこと、がルールなんだぞ」
清田は最近熱中症対策の講習を受けたらしく、あれこれ喋っていたけれどの耳には入ってこなかった。
結局その体調不良疑いは自宅に戻る頃にはすっかりおさまり、一応親にも報告したけれど、やはり清田のように「季節的なものや年齢的なもので不安定になることはあるから、異変を感じたら誰かにすぐ言うこと」と言われただけで終わった。しかもその4日後には生理が来たので、そのせいかな、などと考えていた。
ジメジメと蒸し暑い陽気に生理に謎の異変を抱えてテストなんて嫌すぎる……と落ち込んでいただったが、翌週にテストを控えた金曜、テスト前で見学が禁止なので自宅にいたところ、清田から「すまん英語と古典と情報の範囲教えて」とメッセージが来た。
現在たちの授業は完全タブレット化とノート必須の半々になっていて、清田はその管理がうまく行かなかったらしく、テスト3日前だというのに範囲がわからなくなったらしい。意外と自己管理出来てる人なんだなと思い直したこともあったけれど、こういうところは男子だな〜と思うと微笑ましい。
すると途端に顔がカッと熱くなり、胸がじわりと焼けたように感じた。えっ、今度は何!?
清田にメッセージを送る手が震えているような気がする。意味がわからない。
そして必要なやりとりが終わる頃、清田は「週末ヒマ? オレ英語まったく意味わかってねえんだけど、テスト勉強付き合わない? 好きなもんおごる〜」と言い出した。その途端、わけもなく泣きたくなってきた。
そこにいたり、は胸のあたりのTシャツをぎゅっと握りしめた。まさか。
そして不審がられずに断る上手い言い訳が見つからなかったは土日の2日間を清田とテスト勉強することになってしまい、ふたりの自宅の中間くらいの駅で待ち合わせ、朝から晩まで一緒に過ごした。清田は2日間ともを自宅近くまで送って帰り、苦手な教科を助けてもらった礼にインターハイ終わったらなんか奢るわ、食いたいもん考えとけよ――と笑っていた。
だが、それを境には清田との秘密会議を逃げるようになった。おりしもバスケット部はインターハイに向けての猛練習期間に突入、テストが終わればテスト休みに毎日練習漬け、夏休みに入ったらすぐ合宿、そしてすぐにインターハイ、と多忙を極めていたので、秘密会議をやっている暇もなかった。
というかこんな風にバスケ部が忙しいのは毎年のことで、それが一息つくのはお盆の頃だったのだが、この年は例外的に秋の国体が選抜になり、短い休みが明けた途端、今度は神奈川県内の強豪校の選手が押し寄せてきて、神先輩ファンだが望みがない一部の女子が続々と他校の選手たちに乗り換えていった。
その頃になると練習見学女子の中からの姿は消え、清田が連絡を取ってみても、簡単な返信しか来ないようになっていた。かといってしつこくそれを追求していられる状況でもなく、ちょっとだけ女子から解放された神先輩も余裕が出てきたので、に励ましてもらおう計画はその意義を失っていた。
に気を取られている時間もない清田はそのままバスケ漬けの生活に戻り、ふたりは夏休みの間中、一度も連絡を取ることはなかった。秘密会議は本当に秘密だったし、お互いの友人にも話したことはなかったし、ふたりが放課後にこそこそ話していたことは、誰にも知られることがなかった。
――が、新学期になれば否応なく同じクラスである。
国体の選抜チームに選出されてしまった清田は夏休みも新学期もなく忙しかったし、教室でわざわざ秘密だったことを蒸し返すことも出来ないしで、そっけない挨拶だけの日々が繰り返されていた。
――が、清田の方はわけがわからんのであった。
確かに夏休みの間に神ファンはその数を減らし、勢い余って告白して断られた女子は姿を見せなくなったし、の「推しへの奉仕」は必要なくなったわけだが、一学期の期末を境に態度を急変させたに対しては怒りに似た憤りを感じていた。
なんの説明もなく急にそっけなくなって、約2ヶ月以上にも及んだ秘密会議などまるで存在しなかったかのようで、インターハイで撮った写真とか送ってやろうかとメッセージを送っても「いらないよ」と返される始末。お前神さんのファンじゃねーのかよ! まさか誰かに乗り換えたとか言うんじゃねえだろうな!
そういうイライラが募ってしまった清田は、国体が近付いてきたある日、またも昇降口でを捕まえた。
「やっぱり具合悪かったのか?」
「ううん、そういうんじゃないよ、大丈夫」
「だったら……てか最近は見学にも来てないだろ」
「ああうん、まあね」
歯切れが悪いは俯き気味で小声。それにもイラッと来た清田はの頭上に屈み込み、その苛立ちを込めて低い声を出した。の肩がびくりと震えるけれど、止められなかった。
「神さんのことは、もういいのかよ」
「……うん」
「まじかよ……お前はそういうファンじゃないって思ってたのに」
「ごめん」
「別にオレに謝ることはないだろ」
「そだね、ごめん」
淡々と声色も変えないにますます苛立った清田はつい、肩を押した。
「お前が神さんのファンだっていうから、協力してやろうと思ったのに」
一体に何があったのかもわからず、自分の善意が何らかの理由で拒絶されていると感じた清田はしかし、押してしまった肩が震えていることに気付くと慌てて手を戻した。
「でも、そういうの出来なくなっちゃったから、もういいの、ごめん。色々、ありがとう」
余計に俯いたはペコッと頭を下げると、それ以上は何も言わずに立ち去った。