薄暗い裏門で待つこと40分、大人数の男子の声が聞こえてきたので、は少し離れた場所に移動した。するとバスケット部と思しき集団が腹減った腹減ったと言いながら通り過ぎ、そのあとにひとりポツンとやたらと大きな影が残った。どう見ても花形なので、はそそくさと近付いていく。
すると花形は片手を立ててがばりと頭を下げてきた。今度はなんだ!
「す、すまん、こんな暗いところでひとりで!」
「え、いや大丈夫、暗いけど誰もいないから」
「時間とか言えばよかった、気付かなくてごめん。連絡先も知らないから報せようがなくて」
言いながら花形はポケットからサッとスマホを取り出した。まさか……
そんなバカなファンが推しと連絡先交換してどうするってんだ何を連絡する必要があるんだよそれは友達とか恋人がやることでうちわ作りてえ〜とか考えてるやつがやっていいことではないのでは――なんてことを高速で考えるけれど、だからといって拒否出来るわけもないし、したくもない。
「ずいぶん遅くまで練習してるんだね」
「これでも早い方だよ。大きな大会の前はもっと遅くなる」
「そんなに遅くまでやってたら試合で疲れちゃいそう」
「ははは、よくある。あ、、そのお茶まだ飲む?」
花形はバッグに突っ込んであったお茶を指差す。確かに待ってる間に飲む用に買ったものだが、2度ほど飲んだだけでかなり余ってる。まさかと思うがお主……
「よかったらもらえない? 今日、お茶当番がいないの忘れてて、水道水しか飲むものがなかった」
にこやかな花形はまるで普通に友達と接しているかのような「ノリ」でペットボトルを受け取ると、なんの躊躇もなく口をつけて一気に飲んでしまった。薄暗くて見えないが、またの膝がカタカタと笑い出す。おいまじか、この世には推しの噛んでたガムに600万出す人がいるというが、逆は普通ないだろ、あああああ花形の口内に私の口内のあわわわわ
「てか今更なんだけど、、駅はどっち?」
「あ、ああ、A駅」
「そっか、じゃ同じだ」
翔陽高校は最寄り駅がふたつあり、どちらもさほど距離は変わらない。だが、の使っているA駅の利用者は少なめ。なのでバスケット部男子たちのほとんどはB駅方面に消えていってしまった。というか今更ながらに、わいわい言いながら通り過ぎていった集団の中には藤真がいたはずなのに、まったく気にも留めなかった自分に驚いた。私、マジで推し変してしまったんだな……
「それで、聞きたいことって……」
「ああ、そうそう、実はさ、この間もらったタオル、親が気に入っちゃって」
歩き出した花形との距離を気を付けつつ、は先手を打った。もし花形が会話のきっかけを待つタイプだったとしたら、沈黙に耐えられない気がしたからだ。その「聞きたいこと」が気楽なことだったので、膝の震えが少し止まる。なんだか普通の友達みたいだ。
「オレがもらったんだからダメだって言ってんのに、しつこくて」
「そんないいものじゃなかったんだけど」
「でもなんかすっごいフワフワしてたよな」
「ま、まあそう」
は苦笑い。女子に大バズりのスリコふわふわ洗顔タオルなので。それを言うと、花形は声を上げて笑った。笑うと少し声が高くなって、巨大な身長から大人っぽく見えがちな彼の年相応の姿が見えた気がしてしまう。そりゃあもうの胸はギュンギュン鳴っている。
「藤真ならわかるけど、オレにそれをくれるなんて、っていいセンスしてる」
「そ、そうかな、意外と繊細かもとか思ってて」
「えっ、そう? どういうとこが?」
「えっ!? どういう……いやほら、傷の手当とか、すごく丁寧にやってくれたし」
「そりゃ女子の顔の目立つとこだからなあ」
「自分の顔だったら?」
「洗って終わりだろうな」
「そんな雑なの!?」
依然として膝は笑っていたけれど、「あのタオルどこで買ったの?」しか聞きたいことはなかったというのに、ふたりの雑談は気まずい沈黙になることなく駅まで続いた。しかも、
「なんだ、駅、隣じゃん」
「知らなかった。いたら絶対わかるのに」
「まあ、オレ朝は早いし帰りもこの時間だからな」
同じ路線利用であるばかりか、駅は隣、家もそれほど遠くなかった。雑談ですっかり緊張が取れて膝も笑わなくなっただったが、自宅に帰り着いたところで通知を確認したところ、花形からメッセージが入っていた。一瞬で腕に緊張が戻ったが恐る恐る全文を確認してみると、
「さっき言ってた300均てC駅だったよな? 明日からテスト前で練習早めに終わるし、付き合ってもらえない? あれはちょっとひとりで入るのつらい…」
とあった。とうとうの膝はその役目を放棄し、彼女はその場に崩れ落ちた。
もう友達にも気軽に「今日の推し語り」なんて出来なかった。緊張でろくに眠れず、朝食も昼食も喉を通らず、野菜ジュースを無理矢理流し込む。心配する友人には、せめて嘘をつきたくなかったので「推しの距離感がおかしくて」と言っておいた。間違ってない。距離感おかしい。
放課後にふたりでショッピングとか、ほんとにおかしい。
「テストはまあ、適当に。部活に支障ない状態になってればオッケー」
「そういえば成績いいんだよね花形……」
ふたりの最寄り駅から数駅先のC駅の300円ショップで「SNSでバズり中♡」というポップのついたふわふわタオルを3つ買った花形は、付き合ってくれたお礼にとファストフードでドリンクをおごってくれた。喉がカラカラのはそれを一気飲みしてしまいたい衝動と、デートみたいじゃんこれという混乱で目を回していた。
だが、がこっそり影から推すつもりでしかなかった花形はとんでもないことを言い出す。
「なに、テスト不安? 見てやろうか。てか予定空いてるなら一緒にテスト勉強する?」
の手から滑り落ちたドリンクカップがどしゃっと大きな音を立てる。返事も出来ない。だがそんなの様子には、さすがの花形も驚いたようだった。
「え、すまん、なんか変なこと言ったか」
「ち、違……」
パニックを起こしそうなは慌てて両手を振ったのだが、花形は視線をそらしてうなじを掻いた。その仕草がには機嫌を損ねたように見えてしまった。やばい、やっちまった、優しい推しが親切にしてくれただけなのに、失礼な態度を取ってしまった……!
だから私はこうやって直接ファンサしてもらうとか合わないんだよやっぱり。強気な女子の後ろの方からこそこそと眺めてるくらいがちょうどよかったのに、ただ輝いてる推しを見て元気をもらいたいだけだったのに、それだけで毎日幸せだったのに。終わった……
先走って絶望に苛まれていただったが、花形はそのそらした視線のまま、ぼそりと呟く。
「悪い、オレ、なんかずっと、浮かれてて」
「うか……浮かれるって……?」
意味がわからないに花形はちらりと視線を寄越したけれど、それもメガネのレンズの向こう。レンズに反射しているのはファストフードの天井の白々とした明かりだけ。
「だって、オレだけ応援するとか、そんなこと言われたことないし」
「え、あ、そうなの……」
「てか普通そんなこと言われないだろ、面と向かって」
「そう、なの?」
「だからその、たぶん、勝手な思い込みを」
花形が言わんとしていることが理解しきれなくて俯く、言いたいことは伝わってないが上手く言葉にならなくて俯く花形。まるで別れ話真っ最中のカップルのようだが、状況的には友達というほどでもないので、騒がしいファストフードの店内を背にした沈黙がつらすぎる。
「だからその、ってオレのこと好きなのかな、と」
「んへ」
また変な声が出たは慌てて口元を両手で塞いだ。花形は後頭部をガリガリと掻きまくっているし、合っているようで合っていない「思い込み」をどう説明したものか、は冷や汗が出てきた。花形に不快な思いはさせたくない。でも、だけど、私のこの思いは、「恋」だなんて言ってはいけないような気がして――
「あの……自分でも、上手く言えなくて、こういう言い方よくないのかもしれないんだけど、私にとっては、花形も藤真も芸能人みたいな感覚で、すごい人って感じで、友達とかには、『推し』って言ってて、遠くから見てるだけでも元気をもらえて、こっそり応援してるだけで幸せっていうか」
そこそこ正直に具体的に説明できている気がしたが、友人たちに言われた通り、言えば言うほど「称賛の形」である推し活が失礼なことのように思えてきた。しかも結局花形が「推し」であることは、今も藤真と同列であり、藤真から乗り換えられただけの存在ということを明確にしてしまう。
「あの時すごく親切にしてもらって、嬉しくて、花形っていい人だなって思って、藤真のファンはいっぱいいるけど、花形推してる人って見たことなかったし、だったら私がファンになろうって、思っちゃって……」
が言葉を切ると、黙ったままだった花形がスッと立ち上がった。の脳内ではのど自慢不合格の鐘がカーンと鳴り響いている。私の日々を潤してくれる推し活終了……本人に嫌われて終わる推し活……
だが、体の左側に圧を感じたが顔を上げると、隣に花形が座っていた。
「ホワ!?」
もう口元を覆って取り繕う余裕もなかった。驚いた勢いで飛び退き、ボックス席の壁にへばりつく。すると花形はさらに距離を縮めてきた。だから距離感おかしいってこの人! てか終わったんじゃなかったのか!
「教えてほしいんだけど、それって、好きとは、どう違うんだ?」
「えっ、違い!? す、好きの、種類?」
「てことは、好きの同類項ではあるんだよな?」
「そ、そう、なのかも?」
自身もよくわからなくなってきた。友人たちは最初から「同じ学校の同い年の男子は推しじゃなくて恋だろ」と言っていたが、そういう意味ではないと思ってきた。だってそんなの、「恋」になっちゃったら、苦しいだけじゃん……受け入れてもらえるはず、ないじゃん……
そうじゃ、ないの?
「……それが、推しってことが、好きってことだったら、どうなるの?」
にもわからない。だってそんな感情をぶつけていい相手だなんて思ったことはなかったから。質問で返してしまったの硬直した手に、花形の指が触れた。
「……またオレが浮かれて、付き合わない? って言い出す」
その時のことをはのちに、「頭に隕石が直撃したのかと思った」と振り返る。花形は「本当に目がぐりんて回ったからびっくりした」と苦笑いをする。けれど騒々しいファストフードの片隅での推し活はいつの間にか恋愛に変わり、推しは彼氏になってしまった。
花形によれば、藤真と親しくなりたいがために近寄ってきた女子は実際にいたそうだが、それはすぐにわかるし、ただ自分だけを見てくれた上に、それを直接言ってくれた人はいなかったとのこと。なのでが差し入れとともにした推し変宣言はもはや告白にも等しかったらしく、つい浮かれてしまったらしい。
当然友人たちからは「だから言ったじゃん」とツッコミをくらいまくったけれど、推しが彼氏になってしまったことで混乱激しいをからかっては楽しんでいる様子。
そんな中、はかつての推しである藤真とも知り合うことになった。どういうわけか藤真がモテるという話になると花形のニヤニヤが止まらないことを不思議に思っていただったのだが、
「こんなにモテても好きな人には好かれないんだよな、藤真」
「そんなことありえる……?」
「普通の彼女羨ましいずるいなんでお前だけさんもう1回推し変しない?」
気の強い女子数人が火花を散らしているせいでまともに交友関係を築けないらしい藤真は泣きそうな顔だ。しかし実際に知り合ってみると、推しにしたほどのスター選手も自分と同じ人間で高校生に見えてくる。その上付き合い始めたばかりの彼氏は変わらず優しくて、心は変わりそうにない。
そしてやっと「大好き」と思えるようになった彼氏はの肩を抱き、ニヤリと目を細める。
「お前になんかやるわけないだろ。が好きなのはオレだけなんだから」
はいそうです! その通りです! 彼氏でも推しでもなんでもいいから大好き! ごめん藤真、君は素晴らしい選手できらきら輝いてて遠くから見ているだけで幸せになれたけど、もうそんな風には思えなくて、私の心はぜーんぶ花形透に持っていかれてしまったので!
――と言いたいのに言葉にならなくて、口からは「ヘェフ」と変な音が出た。
END