推し変してもいいですか?

花形編 2

勇気は出なかったけれど、お礼を口実にもう一度花形に会うということにはやはり心が踊った。これはファンミだと思おう。こっちが勝手に企画したイベントで、貢物ならぬプレゼントを用意すると少し喋れるイベント。

花形に貼ってもらった傷テープを剥がすのは忍びなかったけれど、「お礼」のタイミングには代えられなかった。テープの中で浸出液にたっぷり浸された傷は驚くほどきれいに治り、傷跡はごく僅かしか残っていない。それを確認したは花形へのお礼の品を手に教室を飛び出した。

そもそも、バスケットに限らず、サッカーや野球などの運動部男子は昔から人気が高い。なので部活に向かう彼らを捕まえようと思ったらいくつかの決まったポイントで待つのが確実。はその中から体育館への渡り廊下を選んだ。隠れられる場所もあるし、ちょっとこっち来てと呼び寄せられる場所もあるし、差し入れをしたとしても部室に向かう途中なので邪魔にならない。

迷った挙げ句、「お礼」は無難中の無難なタオルに落ち着いた。しかも万が一同じ商品を見つけられてもいいように、今回は300円ショップで調達。過剰なラッピングもせず、タオルの入ったビニールバッグを手に持ったまま部室に入っても誰にも気付かれないくらいに用意した。

運動部員の待ち伏せは早いものがちだ。推しが通りかかる前に待ち伏せポイントを確保しなければ声をかけるのにもモタつくし、モテる自覚のある生徒は声をかけられても足を止めないこともある。その場合は早足の相手を追いかけつつ話しかけなければならないので、ポジション取りは確実に行わなければならない。いくら相手が同じ高校生でも推しとツーショキメるのは大変なのである。

「は、花形! ちょっといい?」

なのでそう声をかけたに花形が足を止めて寄ってきてくれた時、は一気に気が抜けて膝が笑い出した。これで本日のミッションは達成したも同然。花形推しとしての初日は上々の結果に終わりそうだ。待ち伏せポイントで花形を捕まえたは、まずはお礼を述べる。

「この間はありがとう、傷もすっ」
「おお、すっかりきれいになったな。やっぱり処置が早いとこんなにきれいに治るんだな」

の予定では「迅速な対応により血が滴るほどの傷だったのにすっかりきれいになりました、花形のおかげです、ありがとう」的なことを言うつもりだった。だが花形は食い気味にの顔を覗き込み、楽しそうな笑顔で感心しきり。早速の勇気の柱が1本へし折れた。

「そ、そう、すごいよね? でも自分では気付かなかったから、保健室」
「マジでわかんないな、ここだよな? サクッと切れてたのに段差もない」
「うん、なんか、なくなっちゃった」

再度至近距離、そして遠慮なく指で触れてくる推し。はすっかり塞がったはずの傷がまたドクドクと脈打っているような気がしてきた。やばいな、推しが近すぎて傷口が開きそうじゃん。

しかしここで頭を沸騰させているわけにはいかないのである。お礼しに来たんだよ!

「で、でね、これ、大したものじゃないけど、お礼したくて」
「は?」

ここでの勇気の柱の2本目がボッキリ折れた。柔和な笑顔だった花形は真顔、屈めていた背中を戻してしまった。はまた冷や汗。ほらやっぱりダメじゃん……! 可能性とかないって!

「いやあの、こんなにきれいに傷治ると思ってなかったし、自分だったら気付きもしないで放置だったと思うし、なんか、励ますようなこと、言ってもらったし、お礼、したくて……

言えば言うほど自分が痛々しい女に思えてきた。だからそんなやつ無理じゃん……

「そんな、いいのに、あのくらい」
「そんなこと、助かったし、嬉しかったから」
「お礼なんて、いらなかったのに」

花形が人気ないように見えたのは、近寄り難さ以前に、こうしたコミュニケーションを拒むタイプだったからなのかもしれない。友人たちの言うように、処女丸出しの勘違い藤真ファンの口止めのために優しくしただけだったのかもしれない。そう、推しは遠くから応援してるべきだったよね……

の勇気の柱が全て音を立てて崩壊していく中、真顔の花形はちょっと俯いて眼鏡を押し上げた。

「ええとその、こういうのもらったこととか、なくて、いいのかな」
「おん?」

勇気の柱という支えを失ったは緊張感もなくして変な相槌を打った。おん? てオッサンじゃあるまいし。推しの耳は遥か彼方、気付いてくれるなという焦りで肝心の花形の呟きは一瞬耳に入ってこなかった。なんかちょっと困った顔してるけど、ええと、もらったことない……

そんなバカな! てか断らないのか! 助かった!

「嘘お」
「でも、ありがとう。部活の前にプレゼントもらうとか、藤真みたいだな、すごい」

困った顔が一転、花形はまたいたずらっぽい笑顔になった。藤真がモテるネタはいつでも花形のツボをくすぐるらしい。きっと部外者には分からない面白エピソードがあるんだろう。勇気をなくして傾きそうだったはいつの間にか一緒に笑っていた。楽しそうな推しを眺めていると自然と笑顔になる。

「花形だってすごい選手なのに、不思議」
「いやいや、まだまだ。3年が引退して体制変わる前にもっと実力つけないと」
「でも副主将になるって聞いたけど」
「それはまあ、そうなんだけど。身長のせいだろとか言われることもあるし」
「藤真が主将になるんだから身長関係ないじゃん」
「あはは、そうなんだよな」

藤真は花形に比べるとかなり小柄。というかやたらと高身長のバスケット部員の中ではかなり小柄な方に入る。なのでそれは理由にならない、推しisベスト! 花形がにっこりと笑ったのを確認したは畳み掛ける。チャンス! 推しを推したい気持ちでの勇気が息を吹き返す。

「藤真ってほんとにすごい選手だなってずっと思ってて、だからこっそり応援してたけど、でもそういう人って私以外にもめちゃくちゃたくさんいるし、だから今日から花形応援することにするよ!」

だから、って2回言ってもうた! することにするよ、ってのもどうなのそれ。脳内でシュミレーションしてきた言葉は所詮、レポートに書く感覚でまとめた文章である。どんな会話の流れの中でも自然にブチ込めるよう整えたものではなかったので、とりとめのない言葉になってしまった。

でもいいのだ。今日から君を応援する推しになるよ! と言えればいい。伝わればいい。

「え、そ、そうか、なんか申し訳ない気もするけど」
「あっ、でもいつも藤真に纏わりついてる女子みたいな真似しないから!」
「お、おう……でも、ありがとう、嬉しいよ」
「出来れば気にしないで! 影からこっそり応援してるだけだから!」

これで伝えねばならないことは全て言った。お礼は出来たし、推し変であることはあくまで軽く流す程度、とにかく応援してるということ、だけど出しゃばった真似はせずに遠くからそっと応援してるだけだからね、ということを。あくまでも君を推している「ファン」なのだということを。

だが、花形はまた目を細めて笑顔になると屈んで声を潜めた。

「影なんて……どうせなら前に出てきて応援してよ、1番前で」

の視界がぐらりと眩む。

推しの……ご要望……無理すぎ……

花形が去ったあと、はその場に呆然と立ち尽くしていた。さてどうしよう。なんだか「お礼」は120%成功したと言っていいと思うが、その結果、こっそり影から推し活という自分に合ったスタイルを封じられ、最前列に出てこいと言われてしまった。まじか。えっ、それほんとにやんの私?

基本バスケット部の見学に来ている女子の目当ては藤真だ。そして本人にもガンガン話しかけるような女子が最前列を占拠しているのが普通。というか最前から2列くらいの女子は「あくまでも自分たちは友人でありファンではない」という姿勢を崩そうとしない。なので本人と面識もなければ話しかける勇気もないのようなタイプは彼女らの隙間から首を伸ばして覗き込むのが暗黙のルールである。

それを押しのけて最前列でしかも藤真じゃなくて花形を応援しろと!?

いやその私、今たぶん一生分の勇気を使い果たした気がするんだけど……。再度間近で見た花形はやっぱり優しくてかっこよくて、めちゃくちゃ推せるけど、しかし要求のハードルが高い……

しかし「お礼」が不愉快ではなかったらしい花形は、がそのまま練習を見に来てくれるものだと思っている様子だったし、それを無視して帰ってしまうのは失礼なのではなかろうか。勇気は出ないが、それも怖い。せっかく彼を推そうと決めたばかりなのに、早速ガッカリされるのはどうなんだ。ガッカリどころか今度こそ不愉快に思うかもしれない。

はドックンドックンいう心臓を抱えたままとぼとぼと体育館に向かい、藤真推しだった数日前までの定位置に向かってみた。するといつもより人数が少ない。たまにそんな日もあるわけだが、かといってやはり最前列は「藤真とは会話できる関係」の女子で塞がれている。

花形くん……あの子たちを突破できるわけがないのよ……てか毎回右半分は3年生なのよ……

しかもその3年生と、左半分の2年生は「3年が優先に決まってんだろガキ」「年上のババアが出しゃばってんじゃねえ」という争い方をしており、そもそものような藤真と会話したことがないタイプは彼を巡る覇権争いの中には入っていない。

しかもしかも、その3年派閥2年派閥それぞれの中でも権力闘争があるらしいともっぱらの噂で、彼女たちは本気で藤真と付き合いたいという目的でいるとのこと。藤真が自分たち以外のまったく知りもしない女子と付き合う可能性は考えていない模様。

そんなことを思い出しながら藤真見学集団の背後をウロウロしていただったのだが、そのせいで普段見慣れないものが目に入った。藤真見学専用状態の場所とは別の、体育館のドア口である。よく見ると藤真見学専用ドアだけが女子で埋まっており、他のドアは空いている。

今までは藤真を眺めるという「推し活」に夢中になっていて気付かなかったが、つまりこの藤真見学専用ドアは藤真を見学するのにベスポジな場所なのであり、バスケット部の練習全体が見渡せる場所というわけではなかった。改めて体育館を見渡してみると、各ドアには男子の見学もいるし、2階部分のギャラリーにもたくさん見学者がいる。ということは、藤真が目当てでないなら場所を変えればいいのだ。

そそくさと別のドアに向かったは、1年生らしき男子生徒が友人の見学に来ているだけのドアの端で足を止めた。本日はバスケット部は体育館を全て使って練習中。ちらりと中を見渡せば、藤真を含む「一軍」はステージに近いコートで練習中。そしてそこに一番近いドアが藤真見学専用ドア。

なあんだ……じゃここでいいじゃん。1年と2年はこっちのコートで練習――

「お、来たな」
「んフォ」

死角から突然現れた花形に驚いたは、また変な声を出した。んフォってなんだよ、んフォって……

「こっち空いてるから見やすいだろ」
「んっ、そ、そうだね、気付かなかった」
「ま、藤真が遠いからな。でも練習試合なんかになると上のギャラリーも埋まるし」

そうなのだ。県内では古くから強豪校である翔陽の練習試合ともなると、かなり見応えがあるし、その開催が土日であれば保護者や家族の見学も許されるので、練習試合の見学の場所取りは厳しい。だがここならのんびり推しを眺められるではないか。――眺められるけれど、なんで推しは私に話しかけてくるのだ。

「はな、花形はまだあっちに混ざらないの」
「混ざることもあるよ。でも今日はオレが1年生担当だから」
「1年生の練習の面倒見てるの? 自分の練習出来ないね……

監督がやればいいのに、そんなの大変だな、と思ったに過ぎないわけだが、なぜか花形はにっこり微笑むと体をぐいっと折り曲げ、口元に手を立てて顔を寄せてきた。近! 顔近!

「ほら、オレ年末には副主将だろ。その練習って感じ」

そして囁き声。の膝がまた笑い始める。花形の方は「じゃな」なんて軽く手を上げて去っていったが、手を振り返すことも笑顔を作ることも出来ず、体育館のドアに掴まっていなければ倒れそうな気がしていた。藤真推しの時はこんなことなかったから刺激が強すぎる……ファンサ過剰じゃないの……

だが、その刺激は時間が経つと快感に変わり、は翌日からも空いているドアで花形を見るようになった。

それが2週間くらい続いた時のことだっただろうか。部活をやっていない生徒の下校時間が迫ってきていたので、もそろそろ切り上げて帰ろうと思って携帯を覗き込んだ。推し見学は名残惜しいが、いい頃合い。

するとまた死角から花形がぬっと現れ、は慌てて口を抑えた。またんフォとか言いたくない。

「そろそろ帰る?」
「あ、うん、時間だし」
「あのさ、今日とか、このあと時間ある?」
「えっ、時間? ああうん、特に用はないけど」
「じゃあもう少し待っててもらえたりする?」
「うん、大丈夫」

入学当初はもなにか部活をやってみようかと思っていたのだが、藤真沼に転落してしまったので、やらずじまい。バイトは身内の店でやっているので、超不定期。なのでひとまず用はない。ちょっと申し訳なさそうな花形なので、もしかして何か頼まれごとをするのかな、と思っていた。校内推し活において「推しのパシリ」は一種の通過儀礼だ。これをこなせなくては一人前のファンにはなれな――

「じゃあとで裏門のとこで。ちょっと聞きたいことあるから、一緒に帰ろう」

は!?!?!?

また「じゃなー」なんて言いながらさっさと去っていく花形、残されたの膝はやっぱりガクガク。

推しよ……君は一体どれだけ私をパニックに陥れれば気が済むのだ……

震える膝で体育館のドアを離れたはヨロヨロと裏門に向かい、ひとまず外に出る。それだけで少し緊張が取れたが、さて花形はいつ頃部活が終わるのだったか。藤真推しの時はこのままさっさと帰ればいいだけだったのに、なんてことだ。てかバスケ部って何時まで練習してんの?

誰かに聞こうにも、それを知っている人物に心当たりがない。はやがて大きくため息をつくと、少し離れたコンビニに向かった。そしてペットボトルのお茶を買い、また裏門まで戻る。

日が暮れてひと気のない裏門の植え込みに腰掛け、お茶を飲み込んでまた息を吐く。

どうしてこうなった……私は、私は尊い推しを遠くから応援したいだけだったのに……