推し変してもいいですか?

花形編 1

「いや、推しってそういうことじゃなくない? 芸能人とか、アニメキャラとか」
は『推し』の意味がわかんないんだね……

が同じ学校の同級生を「推し」だと言い出したとき、友人たちはそう言って小馬鹿にしたように鼻で笑った。しかしはその同級生が「推し」であることは間違っていないと思っている。

同じクラスの中にも「推し持ち」は少なくなく、友人たちの言うような芸能人や二次元キャラ、マスコットキャラ、歴史上の人物なんかに夢中になっていた。情報を集め、グッズを買い、イベントに出かけ、聞いてもいない推しの素晴らしさを語りまくる。

まあ、グッズはないけど、その他ではまったく同じな気がするんだよね……

友人たちに小馬鹿にされたは腕組みで考える。私は「推し」を応援してるし、その姿を拝みに行くし、推しは素晴らしい活動をしているので尊敬もしてるし、同じ学校なので話題に上ることも多いから、すかさず推し語りはする。何が違うの。

言わせる人に言わせれば「金を貢いでないんだから推してるとは言わない」だそうだが、別にやる方法がないだけで、もし推しへの応援グッズなんてものがあれば絶対に買ってる。それに推しが「チェキ1回1000円(握手付き)」なんてサービスをやるなら必ず行くはず。

そーいうのがないだけ。ないからやってないだけ。だから彼は私の推しで間違ってない。

「だからそうじゃなくて、それただの恋なんじゃなくて……?」

友人たちはそう言うが、お前らな、尊い推しに私ごときが恋とか不敬にも程があるだろ。推しは私なんぞには手の届かない高みにいるし、それをこの手で掴んで引きずり下ろしてどうするってんだ。後光が差してんだから目が潰れるだろうが。だからいいの。遠くから推しを見てるだけで毎日幸せなんだから。

の推しは同じ2年生の藤真健司くんという。バスケット部のエースで、その上かっこいい。聞くところによると人柄も悪くないんだそうで、彼は学年関係なく校内の人気者。入学直後からそんな噂だけは聞いていた。バスケ部にすごい人気の子がいるらしいよ、なんて、ありきたり過ぎて最初は信用できなかった。

だが実際に本人を見た瞬間、強い力で胸を一突きされて沼に突き落とされた。よもや身近な人間にこれほど強いオーラを放てる人物がいるとは思いもせず、体育館のドアの一番前で練習を見学していたは間近に見た藤真に転落。以来藤真推しである。

校内にと同様の藤真推しはありふれており、なおかつ男子からも期待のルーキーとして慕われていて、が藤真を推しにしていることは実に普通のことだった。というより藤真を嫌う人はいなかった。彼を悪く言いたくても欠点が見つからない。

まあ強いて挙げるなら、人気者がゆえに周囲の人々が勝手に混乱を招くということだろうか。本人は無関係なのでこうしたケースは減りもしない。そういうわけでは2年生のある日、うっかりトラブルに巻き込まれるのである。

といっても大きな事件ではない。廊下を歩いていたら、少し離れた先を藤真がひとりで歩いていた。すらりとした背中、長い腕、色素の薄いサラサラの髪、軽やかな足取り。顔は見えなくても充分にかっこいい後ろ姿だった。は滅多にない機会にその背中に見惚れていた。

ああ、やっぱりかっこいい。眼福。偶然推しに出会えるなんて奇跡。

がそんな愉悦に浸っていると、突然強い力で半身を押されて壁に激突した。倒れまいと壁に手をついて顔を上げると、女子が数人藤真に飛びついているところだった。甲高い声が響き渡っているが、何を言っているかは聞き取れない。

藤真は2年生だけでなく全学年の中でもトップクラスの人気者なので、そりゃあモテる。のように「私とは生きる世界が違う、あれは推し」程度で済ませられない人も少なくなくて、こうして女子に絡まれているのは珍しいことではない。

なので突き飛ばされても彼女たちを怒る気にはならなかった。藤真がひとりで歩いているのだから充分予想できたことだったし、もしに鋼鉄のメンタルと燃え盛る勇気があるなら先に声をかけてしまえばよかっただけの話だ。だからちょっと運が悪かっただけ。

それに、あの女子の集団を押しのけ敵に回してまで藤真と親しくなりたいとは思えなかった。藤真はかっこよくて憧れで見ているだけで幸せになれるけれど、そこまでだ。試合中の真剣な顔を撮影して待ち受けにしたいとは思うが、嫉妬と羨望を背中に浴びながら彼女になるのは気が進まない。

そんなことを考えながらが壁に腕を突っ張って離れると、頭上から低い声が降り注いできた。

「大丈夫か?」

声のした方はほぼ真上。なんでそんなところから声が、と上を向いたらよく知った顔が覗き込んでいた。バスケット部の花形だった。彼もバスケット部では優秀な選手であり、藤真見たさに体育館へ行けば校内一の高身長で嫌でも目につく。しかも1年生の時に選択授業が同じで面識はある。

なんで花形が覗き込んでるんだろうと考えていたは咄嗟に返事が出来なかったのだが、すると彼は眼鏡の向こうの目を丸くしてさらに覗き込んできた。

「うわ、切れてるぞ」
「えっ、何が?」
「ここ、ぶつかった時に切ったんじゃないのか。血が出てる」

そういえば左の頬骨の辺りがヒリヒリするな……とつい手で触ろうとしたの手は、慌てた声の花形に掴まれてしまった。彼の巨大な手の中に自分の手がすっぽりと収まってしまって、の目も丸くなる。

「わー、触るな! すまん、保健室行こう。早めに処置した方が傷が残らないから」

なんで花形が謝るの、花形悪くないじゃん、と言おうかどうしようかが迷っていると、花形に掴まれた手がぐいっと引かれ、そのまま保健室まで連行されてしまった。

「あの、大丈夫だよ、保健室なんて大袈裟な」
「制服に垂れるほどの流血なんだから大袈裟じゃないだろ」
「えっ、嘘、あーっ!」

見れば左の胸に血液と思しき黒っぽい雫が浮いている。

「ていうかひとりで大丈夫だよ、なんではな、花形が」
「マジすまん」
「だから花形悪くないでしょ」

がゴネている間に保健室に到着したが、保健室はサッカー部の男子数人が頭に氷の入ったビニール袋を載せて呻いていた。大人数で衝突してしまったらしい。だが何しろ校内一デカい花形である。養護の先生はすぐにに気付いて、彼女もまた目を丸くした。

「なに、バスケ部もなんか……じゃなくて、どしたのそのほっぺ」
「え、あ、転ん……
「藤真がちょっと。オレがやっていいすか」
「悪い、頼む。ちょっとこっち手が離せなくて」

はつい誤魔化そうとしたのだが、花形は割って入るとさっさと話を進めてしまった。保健室の中はサッカー部員だらけなので、養護の先生は勢いよくベッドにかかるカーテンを引いた。座る場所もないのでそこでやってくれということらしかった。

しつこく遠慮しただったのだが、花形は手を洗い、テーブルの上を勝手に漁って傷の処置に必要なものを集め、ついでにサッカー部員に声をかけてから戻って来ると膿盆を差し出した。湾曲したステンレスのトレイのアレだ。そしてを隠すようにカーテンを引き直すと、すぐ隣に腰を下ろした。

「血を洗うから、顔の下でこれ持ってて」
「なんか逆にごめん」
「いや、藤真のしでかしたことだから」
「藤真も悪くないって。ボーッとしてた私も悪いんだし」
も藤真のファン?」

水を含ませた脱脂綿で頬を洗浄している花形の顔を凝視しないよう上を見ていただったが、花形の声がやけに楽しそうに弾んだので、つい視線を戻した。するとちょっといたずらっぽい笑顔の花形の顔が目の前にあった。さっきは丸くなっていた目が細められている。

「えっ、ええと……
「違った?」
「いやあの、ファンと言うほどでもないんだけど」
「別に笑ったりしないぞ」

洗浄が終わったらしい花形は頬に残る水滴を丁寧にティッシュで吸い取ると、傷テープの剥離紙を剥がす。手が大きいのでちょっとやりづらそうだ。

「あいつは人に好かれる要素っていうのをたくさん持ってるからな」
「そうなんだよね……
「本人はそれをちょっと持て余してるようなところもあるけど」

花形はやけに笑顔で楽しそうだ。藤真が人に好かれることが可笑しいのだろうか。そんな疑問でつい花形の手元を見ていただったのだが、その大きな手が伸びてきてそっと額に触れた。

「ちょっと傾けといて。これ浸出液出てくるやつだから、出来るだけ剥がすなよ」

花形の大きな手に包まれた額、そして正確に傷テープを貼り付けるために寄せられた顔、耳には彼の潜めた低い声がまとわりつく。今さらながらに傷がズキズキと痛んだ。せっかく拭ってもらった血が吹き出しそうだ。なにこれ、急に緊張してきたんだけど。

「あっ、ちょっと曲がっ……

緊張でそれどころではないを他所に花形は傷テープの端を歪めてしまったらしく、なおも顔を近付けてきて、その上両手でほとんどの頭を包み込んでしまった。薄れる傷の痛み、遠ざかる保健室のざわめき、全身が痺れているような気がする。

「よし、オッケー。悪かったな、顔に怪我なんて」
「へ、平気だよ、別に、こんな顔くらい」

頭を解放されたは慌てて両手を振って否定した。が、顔を戻すとベッドに腰掛けた花形とはだいぶ近い距離で、冷や汗が出てきた。あとちょっとでくっついてしまいそうな距離感なんですけど……

だが、花形はまたゆったりと笑顔になるとそっと頭を撫でてきた。

「そんな風に卑下するなよ。藤真みたいなのを見てると自信なくすかもしれないけど、自分のファンは自分、ていうくらいの方がいいんだぞ。一番の理解者なんだから」

そして言葉に詰まるの手を引いて立ち上がらせてくれた。

「ということでその……この件、ここだけの話にしてもらえないか?」

また屈み込んで手を合わせ、そんなことを言う花形には深く頷いていた。

「推し変せざるを得ない」

翌日、はいつも昼食を一緒に食べている友人たちと集まった途端、そう言い出した。友人たちはまた呆れたようにため息。お前、一晩で推し変とか気持ちが薄っぺらすぎないか。

「まあ藤真は話したこともない相手だけどさ〜」
「至近距離で親切にしてもらっただけで推し変とか処女丸出しじゃん」
「そりゃ処女なんだからしょうがない」
「そういうのわかっててやってんじゃないの、バスケ部なんて」

というか、この友人たちの冷めた反応は別に珍しいことではない。バスケット部の華々しい活躍は誇りに思うし応援もしているが、それでも所詮バスケ部という感覚の生徒は少なくない。どうせバスケ部なんて自分たちがモテるって自覚があって、真面目に恋愛する気のないやつらばっかりなはずだ。

それはも理解できなくはない。先輩たちから伝え聞くところによれば、やはり恋愛関係の揉め事は他の部に比べて多い、という。その中にいるのが藤真のようなアイドル的人気の生徒であればなおのこと。

だがしかしは何も、これをきっかけに花形に熱心にアプローチをして、あわよくば彼女になりたいなんてことは考えていない。あくまでも推し変、つまり今後は花形が推し。遠くから見つめ応援するだけ。

「卑下すんなって言われたのに、推しの説法は無視か」
「卑下なんかしてないって。身の程を弁えてるって言ってくれない?」
「いやそれ逆に失礼な気がしてきた」
「なんでよ」
「かっこいいので推しです応援してます、でも好きじゃありません、てことじゃん」
「私に好かれたってなんも得しないんだから、それでよくない?」
「だからそれが卑下だろ!」

だが、友人たちと言い合いの末、は花形に「お礼」を持っていくことになった。花形が推しだというなら、正当な理由でふたりきりになれるチャンスを見逃すなんてファン失格だそうなので。

「うーん、受け取ってもらえない気もするけど」
「なんで? 藤真ならともかく……
「でも2年の中ではナンバー2じゃん。年末には副主将らしいし」
「あー、誰からも何ももらわない、とかいうやつか」

や友人たちは実際には未確認だが、バスケット部には「人気のある部員は差し入れを断るらしい」という噂が絶えない。なのでよほどの理由がない限り、物品手紙その他を送る生徒はいない――が、断られたという実体験による報告もないので、信憑性のない不確かな情報ではある。

「でも……なんか花形って藤真ほどキャーキャー言われなくない?」
「そういやそうだね」
「なんで?」

首を傾げたに、友人は腕を組む。

は親切にしてもらったって言うけど、やっぱちょっと怖いよね、花形って」
……まあ確かに、私もそういう印象はちょっとあった。近寄り難い」
「背が高すぎるし、バスケ部で主力選手やってるのに成績いいし、メガネで表情見えづらいし」

昨日の花形にそんな様子が皆無だったので、はまた首を傾げた。すると友人のひとりが突然身を乗り出し、人差し指を突きつけてきた。

「つまり! そんな花形が優しく接してきたってことは! 絶対可能性あるって!」
「ええ〜」
「ていうか何なの、推しとか言うけど、付き合うのやなの? おかしくない?」
「そういう問題じゃないと思うけど……

だが、そういう友人たちの分析を聞いてなお、に花形とどうにかなりたいという気持ちはなかった。今はちょっと近寄り難いキャラクターなのかもしれないが、世代交代で肩書きがついた途端に今まで彼を見向きもしなかった女子たちが押し寄せ、卒業までの間に彼のパートナーになるため、しのぎを削るはずだ。

そしてには、決して折れない心も枯れることのない勇気もなかった。そんなハードルの高い恋は出来ない。だから遠くから眺めてうっとりしているくらいがちょうどいい。私には彼らを「推し」にしてるくらいが合ってる。それは卑下や自虐ではなく、現実なのだから。

それを無視して突撃して断られ、当たって砕けた自分を見るのも嫌だ。確実に傷つくことを選ぶ理由はない。

花形は優しかったし、すごく素敵な男子だった。バスケ部は天狗になっていて差し入れを断るというのもただの噂かもしれない。けれどが彼にとって特別な存在になるかという話になれば、それは別のはずだ。いくら花形が親切でも、それとは重なり合わない。

彼にも名門強豪の翔陽で副主将にまで上り詰めたプライドがあるはずだ。パートナーにはその「名門強豪校のナンバー2」に相応しい女子を求めるのは当然のような気がした。そして自分は、そんな肩書を持つ男子のパートナーには相応しくない。そうとしか思えなかった。